他人から賞賛されても承認欲求が満たされないのはなぜか。




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最終更新日 2022年7月27日

人間にはたくさんの欲求があることは誰もが理解している。

食欲をはじめ、性欲や睡眠欲、物欲や金欲、承認欲求や自己実現欲求など、人間には数え切れないほどの欲求が存在する。

一般的には、欲求を満たすことで人は幸せを感じると言われているが、欲求には良い欲求が悪い欲求がある。

良い欲求というのは言うまでもなく、満たすことで幸せや喜びを感じられる欲求である。

一方、悪い欲求というのは満たしても満たしても満足できず、満たすほど逆にどんどん強くなり、まるで麻薬のように人間を振り回す欲求である。

 

満たされない欲求たち

たとえば、良い欲求には食欲や性欲、睡眠欲が上げられ、これら三大欲求は心理学者であるマズローから「生理的欲求」と呼ばれている。

生理的欲求とは生存のために必要な欲求のことであり、これらは一度満たせばそれなりに満足できる。

しかし、物欲や承認欲求といった類のものは、満たしても満たしても一向に満足することがない。

1つブランド品を買えば、ほかのブランド品も欲しくなる。

すでに腕時計を持っているのに、新しく発売された時計が欲しくてたまらなくなる。

限定スニーカーと聞くと是が非でも手に入れたいと思ってしまう。

こうした物欲は際限なくどこまでも続く。

本当に必要なのは1つか2つでしかないのに、必要以上のモノを欲しがる。

おもしろいことに、物欲は買えば買うほど強くなり、普段からモノをあまり買わない人は、たとえお金がたくさん入っても物欲に振り回されない。

 

虚構の承認欲求

さて、ここで現代でお馴染みの承認欲求の登場である。

現代ではTwitterやInstagram、YouTubeなどのSNSが生まれたことにより、SNSの中で承認欲求を満たそうとする人たちがごまんといる。

とにかくフォロワーや登録者数を増やすことに躍起になり、いいねや高評価の数に一喜一憂する人たちだ。

みなさんも何となくお気づきかと思うが、こうした方法で承認欲求を満たしたところで、本当の満足は得られない。

もちろん、幸せや喜びといったものも手に入らない。

たしかに、フォロワーが増えたりいいねの数が多ければ多いほど、一時的には嬉しくなったりもするだろう。

何だか他人から認められたような気がするし、自分には価値があるのだと思ったりもする。

しかし、SNSで満たされる承認欲求は虚構のものでしかなく、虚構だからこそ満たしても満たしても満足できず、どこまでも承認欲求に取り憑かれてしまう人が多いのだ。

たとえば、写真を加工してTwitterやInstagramにアップしている人がいるとしよう。

この人はフォロワーが増えたり、いいねの数、可愛いやカッコイイといった賞賛コメントなどが多いほど、一時的に承認欲求が満たされる。

だが、それは本当のありのままの自分の姿ではなく、SNS用に着飾った虚構の自分でしかない。

よく「実物と違いすぎる」と言われている人もいるが、これこそSNSでの姿が虚構である証だ。

そして、虚構の自分をアップして褒められ賞賛されたとしても、満たされるのも虚構の承認欲求だけである。

だから満たしても満たしても本当の心の満足は得られず、承認欲求に取り憑かれてしまうのだ。



自分が見る自分と他人が見る自分

承認欲求そのものは決して悪いものではない。

人は誰だって他人から認められたい、褒められたい、必要とされたいと思っているものだ。

人から愛されれば嬉しい、自分に価値があると実感できれば幸せなのは言うまでもない。

だが、それはありのままの自分と他人から見た自分が一致していなければ意味がない。

SNSに投稿した虚構の自分が褒められても、一向に承認欲求が満たされないのはそのためである。

本当は怠惰な毎日を送っているのに、他人から注目されたいがためにキラキラした生活を作って切り取り、その一瞬をSNSに投稿する。

アプリで加工した自分と、加工しない自分がまるで別人のように異なっているにも関わらず、加工した自分が本来の自分だと言ってSNSに投稿する。

こうした投稿から受け取る賞賛は、ありのままの自分ではなく、虚構の自分に対するものである。

だから賞賛されてもどこか違和感を感じ、心の底から納得できず、承認欲求も満たされない。

本当に承認欲求を満たすためには、ありのままの自分が愛されなければならない。

自分で見た自分と他人が見た自分が一致した状態で、他人から認められたり褒められたり愛されなければ、承認欲求は満たされないのだ。

人は誰しも愛されたいという欲求を持っているが、ただ愛されるだけでは足りない。

愛されるに値する自分が愛されなければ、本当の幸せは手に入らないのだ。

 

愛されるに値する人間になる

「愛されるに値する」というのは、「ありのままの自分が、他人から愛される人間」という意味である。

虚構の自分が愛されたところで、その愛は本来の自分ではなく虚構の自分に向けられたもの。

何度も言うが、それで満たされるのは虚構の承認欲求である。

人は誰からも愛されていないから不幸なのではない。

愛されるに値する人間になれず、実際に愛されないから不幸を感じるのだ。

見せかけの承認欲求を満たしても本当の満足は得られない。

虚構の承認欲求は悪い欲求だが、ありのままの自分が愛されることで満たされる承認欲求は良い欲求である。

現代では見栄やプライドといったものから、虚構の自分をSNSに投影して虚構の承認欲求を満たしている人がたくさんいる。

だが、本当に承認欲求を満たし、幸せに生きたいのであれば、愛されるに値する存在になるのが一番だ。

それはお金や名誉なんかでは手に入らない、自分の本当の価値である。

ありのままの自分が認められ、賞賛され、愛される。そんな人間を目指そう。

それが承認欲求をはじめ、悪い欲求に振り回されないための処方箋となるのだ。

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