最終更新日 2022年7月26日
生きていく上で「自分が本当に自由に生きられる場所」を持つことは何よりも大事だと思っている。
「自由に生きる」と聞くと、なんだか胡散臭い自己啓発っぽい匂いがプンプンするだろう。
だが、ここでいう自由とは経済的な自由のことではなく、「自分らしく生きられる場所=自由に生きられる場所」という意味である。
それは自分にとって聖域のような場所であり、そこにいるときだけは自分らしく、自由な心を持って生きていられる。そんな場所である。
人によってどこが自由にいられる場所かは異なる。
家族と一緒にいる時間がそうだと言う人もいるし、気の合う友人と一緒にいるときや、恋人といるときに自分らしく生きられるという人もいる。
人はずっと頑張り続けることはできない。だからこそ、時には気分転換したり、気を抜いて休む時間というのがどうしても必要である。
ピンと張り詰めた糸は強いように見えて、実は非常に弱くて脆い。
砂で作ったお城のように、ほんの小さなきっかけですべてが崩壊するかもしれないのだ。
自由とは希望のことである
自由に生きられる場所と言ったが、それは必ずしも具体的な「場所」である必要はない。
時間も何もかも忘れて没頭できることがあれば、その瞬間だけは自由に自分らしく生きられる。
自分の場合は、こうして物を書いているときが一番自由で自分らしく感じる瞬間である。
欲求も欲望も、見栄もプライドも、エゴもお金も何もかもが消え去る。
物を書いている瞬間にあるのは、ただ思考を言語化すること、自分が本当に伝えたいことを全身全霊で言葉に落とし込み、自分という人間を表現することだけである。
自分にとってこれ以上の自由はない。
周りからどう思われようと構わないし、期待されなくなっていい。
将来か絶望的だと言われようが、何かを書いているこの瞬間だけが本当に自分らしくいられるのだ。
この瞬間を味わうためなら、どんな嫌なことにだって耐えられるし、世の中がどんどん腐敗していっても希望を持って生きることもできる。
自由とは希望であり、希望を持つには自分らしく生きなければならない。
希望を見つけるのが人生
あくまで私見だけれど、現代で本当に大切なのはお金なんかではなく、未来に希望を抱かせてくれる「何か」である。
その「何か」は家族かもしれないし、友人かもしれない。
音楽や映画、アニメや小説といった娯楽かもしれない。
自分にとってそれは「物を書く」という行為だった。
精神科医で心理学者でもあるヴィクトール・フランクルは、「夜と霧」という有名な著書の中で、いつ殺されるかわからない極限状態の中で強く生きるためには、未来への「希望」が必要だと述べている。
まだ死ぬわけにはいかない理由がある人、まだやり残したことがある人、今さえ乗り越えれば明るい未来が待っていると希望を持っている人、そうした人たちは強制収容所といった過酷の環境の中でも自分を強く持ち、生き長らえることができたのだと言う。
たとえどんなに不運なことが続いたとしても、どんなに失敗ばかりで自分に自信がなくなったとしても、好きな人に振られて死にたくなったとしても、人は希望さえ持っていれば強く生きられるのだ。
人生でやるべきことは、自分にとっての希望を見つけることである。
趣味でも娯楽でもなんでも構わない。心を支えてくれるものを何か一つ持つこと。
それはどんな状態になったとしても心の自由を保証してくれるだろうし、自分らしく生きられる場所を与えてくれる。
それさえあれば、たとえお金が稼げなかったとしても、他人から認められなかったとしても幸せに生きられる。
お金があっても希望がなければ意味がない
現代ではお金のことばかり考え、自分のやるべきことを「お金が稼げるかどうか」で決める人で溢れている。
お金が稼げないことに真剣になっていれば、「そんなのは時間の無駄」「何か意味があるのか」「もっと大事なことに時間を使え」と煽る連中ばかりだ。
しかし、たとえお金が稼げても自由がなく、自分らしく生きられもしないことに真剣になる意味はあるのだろうか?
ある人は「現実を見ろ」と言うが、その言葉が意味するところは「お金がないと生きていけない」である。
お金がないと生きていけないというのは、たしかにそのとおりだ。
でも、お金があっても希望がなければ人は幸せには生きられない。
お金は使えばすぐに無くなるが、希望は自分の中にある限り決して奪われない。
お金は幸せをもたらすかどうかは幾度となく議論されてきたが、その答えは「お金で希望を買えるのであれば幸せに生きられる」である。
一方、お金を浪費するためだけに使う人には幸せはやってこない。
お金は未来に希望を持つための手段に過ぎないのだ。
本当に価値のある生とは
「自由と自分らしさを大事にして生きる」と言うと、そんなのは綺麗事だとバカにされることもある。
でもそれでいいのだ。
人生は万人に受け入れられる必要なんかなく、自分が幸せに生きられているのであれば、それ以外に何もいらない。
人生には自分の価値観を大きく変える出来事が何度か起こる。
今までの価値観を180℃変えてしまうような、天動説が地動説に置き換わるように、これまでの自分の生き方がすべて否定されるような瞬間がいつか必ず訪れる。
私自身、そんな経験から物書きとして生きようと覚悟を決めた。
周りがどう思おうと、何を言おうと構わない。物を書くことが私にとっての希望なのである。
自由に自分らしく生きられる場所。その場所を大事にし、覚悟を持って生きる。
自分で自分を認められない生き方はしちゃいけない。
魂を捧げた先にしか、価値のある生はないのだから。
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