人生とは「大切なものを失う旅」である。




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最終更新日 2022年7月26日

人生とは何なのだろうか。

望む望まないにしろ、人はこの世に生を受け、人間として100年近く人生を生きていくことになる。

10代の頃は若者、20代〜30代の頃は青年、40代〜50代は中年、60代にもなれば高齢者と呼ばれ、この世に生を受けてから経過した時間によって、人間というカテゴリーの中での呼び名も変わっていく。

でも、誰もが100歳まで生きられるわけではない。若くして亡くなる人もいれば、事故や不運な出来事で突然死んでしまう人もいる。数年前まではピンピンしていたのに、病気が発覚してから急激に衰弱し、数ヶ月に亡くなってしまう人もいる。

現代では生まれながらにして、誰もが80年前後の期待余命を持っているが、この余命はあくまで平均値なので、必ずその年齢まで生きられるわけではない。

だとしても、若くして亡くなる人やかなり高齢まで生きる人など、たくさんの人のサンプルがあれば結果は大体平均値に落ち着くことになる。

これを書いてる私もおそらくあと50年近くは生きるだろうし、これを読んでいるあなたもおそらくまだ30年〜60年ぐらいは生きるだろう。

それを「長い」と感じるか、「短い」と感じるかは自分次第だ。

 

「人生は暇つぶし」というには儚すぎる

「人生は単なる暇つぶしだ」

そう呟く人も多い。

しかし、80年以上の時間の暇つぶしなんてできる人はいるのだろうか?

1日の中の2〜3時間程度ならYouTubeでも見ていれば簡単に消化できるが、80年ともなれば時間の桁が違う。

人は若い頃は人生を長く感じ、歳をとると人生を短く感じるという。これはおそらく時間に対する感覚が少しずつズレてくるからなのだろう。

若い頃の24時間も、歳をとってからの24時間も時間としては同じだが、その時間に対する感覚が違う。

ある説によると、歳をとって体内の消化スピードが遅くなることで、時間の感覚が早く感じるようになるらしい。

若い頃は体のあらゆる器官が素早く活動しているので時間の流れも遅く感じるが、器官が少しずつ老化するにつれて外界の時間とのズレが生まれ、そのズレが時間に対する感覚を変えていく。

だから高齢者ほど人生を短く感じるのだという。

私はまだ30年前後しか生きていないが、年々時間の流れが早くなってるように感じる。

1週間は瞬くも過ぎ去り、気づけば1年の半年が終わり、次の瞬間にはもう年末を迎えている。ここ数年はそれぐらい時間の流れが早い。

人生とはなんとも履かないものである。

 

人生は大切なものを失う旅

そんな振り返ってみればあっという間の1年だが、決して何もなかった1年というわけではない。

嫌なこともたくさんあるし、楽しいことや嬉しいこと、悲しいことやつらいこと、幸せを感じる瞬間やすべて投げ出したくなるときだってある。

昔から歳を重ねることに対する恐怖はなかった。周りは「歳なんか取りたくない」と言うけれど、私は老化に関してはそこそこ寛容的である。歳を取るのは素晴らしいことだ。

子どもの頃から早く大人になりたいと願い、大人になってからも未来が早く来ないかと願っている。

自分の将来に何か期待しているわけではないが、未来には今よりも素晴らしいものが溢れているんじゃないかと、そんな子どもみたいな心をいつまでも持ち続けている。

でも、歳を重ねるにつれて怖いことが1つだけある。

それは「失うこと」だ。

自分の中の何かを失うことには寛容的でも、自分の周りのものを失うのは何度経験しても慣れない。

たとえば、家族や友達、恋人やペット。そうした存在を失うのは何もよりもつらいし、痛い。

外傷的な痛みならいくらでも我慢できるけれど、心の痛みだけはどうにもできない。時間が少しずつ痛みを癒してくれるのをひたすら待つしかない。

ある意味、「人生とは大切なものを失う旅」とも言える。

長く生きれば生きるほど、失うものは多くなっていき、最終的には自分しか残らなくなる。

「時間」はすべてをさらっていく。どんなに失いたくないものであっても、どんなに強い力で握りしめていても、時間はすべてを無常にもさらっていく。

 

失うことだけが絶対の心理

若い頃はこれから手にするもののことで頭がいっぱいで、自分の周りにあるものが有限だとは考えていなかった。

すべてが永遠に続くかのように、ずっと自分の傍にあるものだと思っていた。

しかし、現実は違う。

この世に永遠に存在するものなんて何一つなく、すべては時間とともに朽ちていく。当たり前だと思っていたものは、生きるほどに失われていく。

そして気づいたときには何もなくなっている。

よく「人は失ってからじゃないと気づけない」と言う。でも、失ってからでは遅い。遅すぎる。だからといって、失う前に気づくこともできない。

このジレンマの狭間でもがきながら生きていくのが人生なのかもしれない。

人は生きていくうちにたくさんのものを手に入れていく。

富や名声を手に入れる人もいれば、かけがえのない家族や友人を手に入れる人もいる。

だが、それらは永遠には続かない。時間とともにすべて失われていく。それだけが絶対に変わることのない真理である。



失う覚悟を持って生きること

何かを手に入れ、何かを失っていく。この繰り返しが人生に色を与えてくれる。

手に入れるだけの人生なんてつまらないし、失う痛みがなければきっと人は成長することもできない。

子どもがストーブに触れて火傷して学ぶように、人は失うことの痛みから人生とは何かを学ぶのである。

生きている限り、何かを失うことは避けられない。でも失ったものばかり数えてるわけにもいかない。

これから出会う大切なものもあるだろうし、これまで以上に失いたくないものに出会うかもしれない。

それもきっと時間とともに失われていくのだろうけど、失う度に人は少しずつ強くなっていく。

この世に生を受けた以上、失う痛みを避けることはできない。

だからこそ、今自分の周りにいる人たち、手にしているもの、愛するものを大切にしないといけない。

失ってからじゃないとそれがいかに大切だったかに気づけないかもしれないけど、それでも今自分の周りにあるものを大切にしなければならない。

人生は永遠ではないし、大切な人ともいつ別れがくるかも知れない。

人間にできるのは、失う覚悟を持って毎日を生きることだけである。

些細なことで時間を無駄にしてはならない。時間は有限であり、命も有限なのだから。

 

人生の意味は精一杯生きること

本当に大切なことは誰もが心の奥底でわかっているはずだ。

それを行動に移せるかどうかは別の話だけど、心の声を無視し続けて生きても虚しさと後悔だけが残る。

自分を騙し続けながら80年前後の余命を消費するのは拷問でもある。

自分に正直に、もっと素直に、好きなものを好きといい、他人ではなく自分が大事に思うものを大切にして生きる。自己満足も追求すれば幸福になる。

やらなきゃいけないことの多くは、実はやらなくてもいいこと。

考えなければならないことのほとんどは、実はどうでもいいこと。

悩みと不安はネガティブなものではなく、今よりも成長するためのカンフル剤。

まだ人生に対する答えは出ていないけれど、これからも失う痛みにもがきながら、自分なりに生をまっとうして生きていこうと思う。

それが今の自分にできる精一杯であり、人生の意味にもなるのだろう。

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