ネガティブな思考が手元にある幸せと喜びを感じさせる。




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最終更新日 2022年7月26日

私は「寝る前に今日一日に感謝してから寝ましょう!」「朝起きて今日も生きられることに幸せを感じましょう!」といったような言葉がどうにも苦手だ。

感謝することが無意味だとか、幸せは感じるものではないとか、そういったことを言いたいわけではなく、ポジティブシンキングや幸福論を振り回している人たちがどうにも苦手なのである。

私自身、陰キャというわけではないが、かといって飛び抜けて明るいわけでもない。

自分では毎日フラットな精神状態で生きていると思っているが、周りから見れば陰キャでネガティブで悲観的な思考をしているように見えるかもしれない。

でも、自分で自分のことをネガティブだと思ってはいないし、陰キャでコミュ障だと感じてるわけでもない。

よくエッセイではネガティブに見えるようなことを書いていたりするが、それは私の性格がネガティブだから書いているわけではなく、ただ単に「ネガティブなことを考えるのが好き」なだけである。

 

あぁ、ポジティブ教

一般的には、ネガティブなことは考えないようにするべきだと言われている。

悲観的なことやネガティブなことばかり考えていると、気分も落ち込んできて生きてても楽しくないよ、と人生を楽しんでいるように見せている優しい大人がアドバイスしてくれる。

でも彼らをよくよく観察してみると、実は彼らこそ楽しくない人生を生きてることに気づく。

表向きは自分を納得させて、楽しい人生を歩んでいるように見せているが、彼らは心の奥底では決して満足を感じちゃいない。

満足しているように自分に言い聞かせ、不満だらけの毎日をなんとか耐えているのが大多数だ。

彼らのもっとも大きな特徴は、「楽しいことだけ考えていればいいんだよ」「今を楽しもう」「ネガティブなことは考えない」といった言葉が好きな点だ。

私の人感センサーはその言葉を聞くと、「そっとその場を離れろ」と全身に警告を送ってくれる。

おかげで無知な陽キャに絡まれずに心穏やかに生きられている。

私は決してポジティブシンキングが嫌いなわけではない。

ただ、自分自身にポジティブシンキングを押しつけ、「自分はポジティブな人間だ」と過剰にアピールしている輩が嫌いなのである。

SNSなどでそのような投稿を見ると、まるでポジティブ教の宗教勧誘を受けているように感じてしまう。

 

幸せを感じるためのネガティブ思考

私が「ポジティブ」や「幸せ」といった言葉に敏感に反応してしまうのは、現代のポジティブシンキングや幸福論のほとんどが宗教じみたものになっているからだ。

「ポジティブでいなければならない」

「幸せにならなければならない」

ポジティブや幸せを語る人の多くは、「そうあるべきだ」と自分にも他人にも考えを押しつけている。

そう生きるのが正解だと思い込み、そうでなければならないと強い信念を持って生きている。

さて、これを宗教と呼ばずなんと呼ぶ?(これは宗教を否定しているわけではなく、無理やり価値観を押しつけてくる輩を宗教にたとえて揶揄しているだけである)

ポジティブでいることは大切だ。幸せを感じながら生きるのも同じぐらい大切だ。

でもそれは、「ポジティブでいなければならない」わけではないし、「幸せにならなければならない」わけでもない。

はじめのほうで、私はネガティブなことを考えるのが好きだと述べたが、それはポジティブや幸せを拒否しているわけでない。

というのも、私は今の状況や置かれた環境に幸せを感じるためにネガティブなことを考えている、のだ。

ネガティブという言葉も、人によってイメージすることが違う。

ネガティブに死や悲しみをイメージする人もいれば、悩みや迷いをネガティブだと考える人もいる。

それは個人の感受性によって異なるが、私がよく考えるネガティブの代表的なものは、「死」と「喪失」だ。



「死」と「喪失」に向き合う

おそらく大多数の人は「死」について考えるのは好きではないだろう。

もちろん私も好きではない。好きでネガティブなことを考えてはいても、それは「死」について考えるのが好きなわけではないのだ。

しかし、人間が死を決して避けられない以上、死ついて考えるのはとても大事なことである。

自分も含め、人間は誰一人例外なくいつか死ぬ。

そんなのは小学生でも知っているが、実際に死を意識しながら生きている人はほとんどいない。

誰もが自分には明日がある、明後日も生きている、この先何十年も人生は続いていくと思いながら生きている。

つまり、「明日も生きるつもりで、今日を生きている」のだ。

だがその保証はどこにもない。人間は死を避けられないが、死が訪れる瞬間にも逆らえない。

だからこそ、常日頃「死」について考え、自分にも周りの人たちにも、いつ死が訪れるかわからないことを肝に銘じておくのが大事なのだ。

「喪失」についても同じことが言える。

喪失とはその言葉のとおり「失うこと」だが、私が常に考えているのは、「今手にしているものは、いつか必ず失われる」ということだ。

 

常に最悪を想定して生きる

多く人たちは「今手にしているものを、明日も手にしている」と思いながら生きている。

さきほどの「明日も生きるつもりで、今日を生きている」と同じだ。

今の自分の仕事、仲のいい友達、愛している家族や恋人、頑張って貯めた貯蓄、マイホームや車、そして命。

今自分が持っているものは、明日も明後日もこれからも、長い間自分の手の中にあると思い込んでいる人は多い。

でも、現実は容赦しない。人間が手にするものは、いつか必ず運命による回収がおこなわれる。

命の回収である死が避けられないのと同じく、今自分が手にしているものも運命の気まぐれで簡単に失ってしまうのだ。

だからといって、私たち人間に為す術がないわけではない。

いつか必ず訪れる「死」と「喪失」について考えておくことで、いざその瞬間が訪れたときの痛みを和らげることができる。

これは古代ギリシャの哲学であるストア派の教えでもある。

「常に最悪の出来事を予想しておく」のが大切なのだ。

 

ネガティブシンキングと友達になろう

ポジティブ教や幸せ教の信者たちは、ネガティブは悪だとし、考えることを拒否する。

楽しいことしか考えず、自分にとって都合のいいことばかり考えている。

彼らにネガティブな出来事が起こったらどうなるだろう?

予想外の出来事が起こると人は心が乱れる。考えもしなかった予想外なことであればあるほど、精神的なダメージは計り知れない。

実際に私は、全力で楽しい人生を送っていると思い込み、ポジティブなことしか考えていなかった人が、大切なものを失い打ちひしがれた姿を見たことがある。

彼はその後何年もその痛みを抱え、罪悪感を感じながら生きていくことなってしまった。

何度も言うが、ポジティブでいることは大切だ。幸せを感じることも、充実した人生を歩むためには欠かせない。

でも、ネガティブなことを考えるのを拒否してはいけない。

人間が儚い存在である以上、「死」と「喪失」について考えることを避けてはいけない。いざというときに打ちひしがれないためにも。

私たち人間には後悔のない人生を歩めないかもしれないが、できるだけ後悔をなくした生き方はできる。

ネガティブシンキングは人生の痛みを和らげ、今自分がここに存在している喜び、手にしているものの価値を見直すきっかけになるものなのだ。

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