利己的な行動に見えても、それが利他的な行動になることがある。




Pocket

最終更新日 2022年8月8日

自分にとっては意味があるけれど、他人にとっては意味がないもの。

誰かに何かを伝えたくてやっているけれど、世間にとっては価値がないもの。

人間は生まれつき利己的な生き物だと言われているが、利己の裏側には、他人や社会のために行動を起こす利他もしっかり存在している。

人間が本当に自分だけのことしか考えず、いつどこでも自分の利益のことだけしか考えない利己的な生き物であれば、きっと私たちは今ここに存在していないだろう。

「誰かのため」「社会のため」という言葉は人の心に響くフレーズだ。

「〜ため」という文脈で自分の行動を意味づけしていると、心の奥底から行動力が沸々と湧いてくる。

実際、人間は自分のために生きるよりも、他人のために生きるほうが力を発揮しやすい生き物なのかもしれない。

しかし、人間は常に自己利益のために行動を起こしていることも忘れてはいけない。

人は常に利己と利他の狭間をさまよい、自分のためになることと他人のためになることの境界線を行ったり来たりしているのだ。

 

他人のための活動

たとえば、一般的に芸術的な営みといわれていることを思い浮かべてみよう。

本を書くことや曲を作ること。絵を描くことや写真を撮ること。小説を書くことやモノを作ること。

どれも自己満足的な行動に見えるものだが、どれも「他人のために」という意味づけができる活動でもある。

本を書くのは誰かに何かを伝えるため。曲を作るのは聞いてくれた人に力を与えるため。

絵を描いたり写真を撮るのは見た人を感動させるため。

小説を書くのは読む人を楽しませるため。

モノをつくるのは社会をより良くするため。

基本的に、人がおこなう行動は利己的なものと利他的なものに分けることができる。

言い換えると、自分のためか、それとも他人のためかということだ。

 

人間はないものねだりな生き物

実際には、人がおこなう多くの行動の中には、利己と利他の両方の感情が混じっていることが多い。

人は自分の楽しみのために本を書き、誰かのためにも本を書く。

利己と利他は対立するものではなく、互いに影響を与えるものなのである。

つまり、利己心なくして利他心なし。逆もまたしかりだ。

いくら人間が利己的な生き物だとしても、自分のことだけを考え、自分のためになることしかしない生活を送っていると、そんな人生や自分に嫌気が差してくる。

自分の人生だから自分さえ楽しめればいいと思っていても、利他的な本能がそんな自分に抵抗するのだ。

たとえば、お金のためだけに仕事をしている人が、やりがいや充実感という感情を感じられず、嫌気が差して仕事を辞めることが多いのがいい例である。

しかし、他人のためや社会のためだけに行動するのも、「自分の人生なのにどうしてこんなことしてるんだろう?」と嫌気が差してくる。

芸能人が自由になりたいとか普通の人生を送りたいと引退するのがいい例である。

つまり、人間の利己心と利他心には互いにないものねだりな側面があるのだ。

自分のためだけに生きていると他人のために生きたくなり、他人のために生きていると自分のために生きたくなるのだ。



利己と利他のバランスが大事

何か行動するときに大事なのは、自分の人生を生きていると実感する利己的な心と、他人や社会の役に立っていると感じる利他的な心をバランスよく持つことである。

利己と利他はどちらかを満たしているだけでは成立しない。利己の心を満たしつつ利他の心も満たさないと、自分の人生に意義が感じられなくなるのだ。

たとえ自分のために生き、常に利己心を満たす生き方をしていても、自分の行動が他人や社会にとって意味がないと感じてしまうと無気力になる。

逆に、利他心を満たしていても、それで自分の時間がごっそり奪われてしまうのであれば、自分の行動が他人のためになっているとわかっていても、やはり段々と無気力になってくる。

さきほども述べたとおり、利己と利他はないものねだりなので、今の自分にないものを求めてしまう。

だからこそ、利己的な心と利他的な心のバランスを保つことが大事なのだ。

ある場面では利己的に行動しつつ、それでいて誰かの役に立っている。これがもっとも満足度が高く、満たされた心の状態である。

 

人間は利己的であることを知る

決してやっちゃいけないのは、本当は満足していないのに、他人の役に立っていることで満足していると思い込むことだ。

これはワーカーホリックになっている人間によく当てはまる状態である。

そして、決して人間が利己的な生き物である事実から目を逸らしてはいけない。

人間は本質的には自分のために生きなければ満足できないのだ。

自己満足は利己心と結びつき、利他心は「〜のため」にやってこそ満たされる。

そのため、他人の役に立っていることと、自己満足は切り離して考えなければならない。

相関関係がないものを結びつけて自分を誤魔化しちゃいけない。

自分に嘘をつく生き方からは決して満足した生活は得られないのだ。

リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」という本の中では、「人間は遺伝子の乗り物に過ぎず、子孫を繁栄させるという遺伝子の目的に沿って人間は行動している」と述べられている。

つまり、人間が自己満足や利己的な行動をとるのは自然なことであり、他人のために生きようとするのは不自然なことなのだ。

 

利己的な心と利他的な心を結びつける

もちろん、他人のために生きることが自分の利益につながることもあるだろうし、それにより子孫繁栄のチャンスを増やせるケースもある。

だが、仮にそうだとしても「行動の裏には自己利益の追求がある」という側面は排除できない。

たとえどれだけ「他人のため」と言葉で言っていたとしても、その裏にある自己利益から目を逸らすべきできはない。

現代では自己利益を追求する人を揶揄する風潮もあるが、それは人間を含めた生物への理解と知識が足りていない。

ある意味、生物への冒涜でもある。

感情論的に利己心や自己利益の追求を揶揄したところで、人間の存在意義や目的を変えることはできないのだ。

私たちは、利己的な生き方や自己利益を非難するのではなく、それが生物の自然な行動であることを理解しなければならない。

そして、利己的な行動が他人や社会の役に立つようにする。つまり、利己心と利他心を結びつけなければならない。

利己的な行動が他人のためになることもある。

他人の迷惑にならない限り、利己的な行動や自己利益の追求は決して悪いことではないのだ。

Pocket




コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。