最終更新日 2024年2月5日
こんにちは、竜崎(@ddd__web)です。
かの有名なドイツの哲学者であるフリードリヒ・ニーチェはこう述べました。
「人生には終わりはない。今の生が終わったとしてもまた同じ人生を永遠に繰り返すことになり、人間はこのサイクルから決して逃れることはできない」
これはニーチェが「永劫回帰」と呼ぶ概念です。
人間は同じ人生をただグルグル繰り返すだけであり、神も天国も地獄もあの世も存在せず、終わりなく永遠に同じ人生をただ繰り返している、というなんとも残酷な世界観をニーチェは示しました。
前世の記憶がないにしても、今の生が終わってもまた同じ生を歩み、その生が終わればまた同じ生を歩む。
人間は決してこのループから逃れることはできず、「あるのはただ無限に繰り返されるという事実だけである」と述べ、プラトンのイデア論もキリスト教の価値観もすべてを無にしたのです。
人間には前世という記憶がないため、ニーチェの永劫回帰が正しいかどうかは誰にもわかりません。
しかし、ニーチェが提示した永劫回帰という世界観は、多くの人たちにとって重大な意味を持つものです。
今回の記事では、ニーチェの永劫回帰とはどんな意味なのかについて詳しく解説していきます。
目次
ニーチェの永劫回帰とは
はじめにも言ったように、ニーチェの永劫回帰とは、人間はただ同じような人生を永遠に繰り返していくという世界観であり、人間は永遠にこのループから逃れることはできないという思想のことです。
人間はただ同じような人生を永遠に繰り返していくという思想のこと。
そして、この永劫回帰の思想からは「人生にはなんの意味もない」「すべて無価値である」というニヒリズムが生まれます。
ニヒリズムとは虚無主義のことであり、虚無主義は人間の存在や人生には本質的に価値がないという思想です。
ニーチェは、現代社会に生きる人たちが励んでいる友情や愛情、仕事や娯楽、命も人生も、そして人間もすべて無価値であり、誰もが永劫回帰という残酷な世界観の中で永遠に苦しみながら生きている、と考えていました。
輪廻転生と永劫回帰
よく「人生は一度きり」というフレーズを耳にしますが、ニーチェの永劫回帰の考えから言えば、それは間違いということになります。
輪廻転生よろしく、寿命を迎えたり病気に侵されたり交通事故に合い、現在生きている人生が終わったとしても、人はまた人間として生まれ変わり、再び同じような人生を生きることになる。
輪廻転生はインド哲学を祖とする思想でもあり、現代では仏教思想においてよく語られる概念です。
しかし、仏教では人は必ずしも再び人に生まれ変わるとは述べてはいなく、死後は6つの世界に分けられていると考えられているのがニーチェ思想との違いになります。
- ニーチェの永劫回帰⇒今の人生が終わっても、永遠に人間としての人生を繰り返す。
- 仏教の輪廻転生⇒死後は「六道」と呼ばれる6つの世界に行く。
仏教では死後、「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上」と呼ばれる六道の世界に人間は転生されますが、どこの世界に送られるかは自分の生前のおこないによって決まります。
これはキリスト教やイスラム教といった宗教と同じ考えですね。
ニーチェの名言のひとつに「神は死んだ」という言葉がありますが、ニーチェが無神論者であったことを考えると、宗教が掲げている輪廻転生の思想ではなく、独自の永劫回帰といった世界観にたどり着いたのも納得がいくでしょう。
永劫回帰の先のニヒリズム
ニーチェの思想がよく敬遠されがちなのは、永劫回帰の世界観の先にニヒリズムという地獄が待ち受けているからです。
実際、現代人の多くは永劫回帰という言葉を知りません。
ですが、永劫回帰の概念を知っていようが知っていまいが、現代社会で生きる人たちはニヒリズムに陥っている人がたくさんいます。
特に10代~20代前半の若者にはその傾向がかなり顕著であり、「人生つまらない」「生きる意味がない」とSNS上で呟いている人を大勢見かけるでしょう。
ニーチェの永劫回帰やニヒリズムといった世界観を受け入れるか拒否するかに関わらず、人生がつらくて苦しいものであるのは事実です。
この点は仏教でもよく言われているとおりで、「四苦八苦」という言葉は仏教が人生について俯瞰して述べている言葉でもあります。
四苦八苦⇒生の苦しみ、老いの苦しみ、病気の苦しみ、死の苦しみのこと。
人生では次から次へとめんどくさい問題が降りかかってきたり、思い通りにいかないことばかりが起こり、仕事も人間関係もすべて嫌になって投げ出したくなるときがあります。
生きていて何一つ悩みを抱えていない人など存在せず、楽しいだけの毎日を生きている人もいません。
誰しもなにかしらの問題を抱え、悩みに悩み、時には泣いたり悲しんだり苦しんだりしている。それが仏教の世界観です。
人生は本当に苦しいだけのものなのか
ニーチェの永劫回帰とニヒリズム、仏教の四苦八苦という言葉、そのほかの哲学や偉人たちの言葉にも、人生はつらく苦しいものだという考えがあります。
ですが、はたして人生は本当に苦しいだけのものなのか。
ドイツの哲学者であるマルティン・ハイデガーは、人間は被投という形で世界に投げ込まれただけの存在だと語っています。
望んだにしろ望まないにしろ、私たちは勝手に世界に投げ込まれ生を受けただけ、その中で自己の可能性を追求して現在から未来に自分を投げかけて生きていく。
そうした生き方をハイデガーは「投企」と呼びました。
- 被投⇒自分の意思ではなく、受け身で人生を生きることになったこと。
- 投企⇒被投という形で生を受け、常に自己の可能性に向かって存在しているという生き方。
ハイデガーがニーチェに影響を受けていたかどうかは定かではありませんが、ハイデガーの思想にはニーチェの影がハッキリと感じとれます。
存在と時間について考え続けたハイデガーにとっても、根本的にはやはり人生はつらくて苦しいものに映っていたのでしょう。
過去の大哲学者たちがこぞって人生をネガティブなものに捉えていると知ると、なんだか本当に人生は苦しいもののように感じてきますよね。
ですが、ニーチェはそこで考えを止めたりはしませんでした。
後の世代のために、つらくて苦しい人生をどう生きればいいのかも示してくれています。
永劫回帰とニヒリズムを克服して生きる方法
ニーチェはなにも、人間はただ永劫回帰の中でなす術なく、苦痛を味わいながら繰り返される人生を生きていくしかない、と述べているわけではありません。
ニ^チェは永劫回帰とニヒリズムの中で、どうすれば幸せに生きていけるのかをしっかりと提示しています。
それが「超人」という概念です。
ニーチェが言うには、人は超人として生きることで永劫回帰的な生を克服することができる。
では、その超人とは一体どういったものなのか。
ニーチェが唱える「超人」
ニーチェがいう超人とは、超能力を持った人間のことでも、スーパーサイヤ人的な強さを持った人間のことでも、才能溢れた天才のことを指しているわけでもありません。
ニーチェが唱えた超人というのは、永劫回帰かつニヒリズムの中で生きてく上で、自分なりの価値観や考えをしっかりと持ち、自分のルールに従って生きることができる人間のことです。
自分の軸となる考えをしっかり持ち、自分の価値観に従って生きる強さを持つことで、人は永劫回帰とニヒリズムに立ち向かい幸せに生きることができる。
そして、自分の軸となる価値観は芸術をベースにして持つのがいいと述べ、芸術こそ人間にとって生きる価値のある最高の活動であるとも述べています。
人間に潜む芸術的な感性を最大限発揮し、芸術を生み出すことに没頭することで、人は永劫回帰とニヒリズムの中で生きる強さを身につけることができる。
そうした人間こそ超人の名にふさわしく、永遠に繰り返される人生に立ち向かう唯一の方法なのだと、ニーチェは述べているのです。
永劫回帰を克服する芸術活動
現代にはたくさんの芸術的活動があります。
その一部は「大量生産」という言葉によって輝きを失いつつありますが、芸術的作品や芸術的活動が人間の心を掴んで離さないのも事実です。
本を書く、絵を描く、作曲する、写真を撮る、モノを作る。
芸術的活動をしているとき、人はフローと呼ばれる概念の状態に達します。
フローとは、時間を忘れ、目の前の事柄に完全に入り込んでいる精神的な状態のことです。
何か楽しいことをしているとき、時間があっという間に過ぎる経験をしたことがある人も多いでしょう。
そうしたとき、目の前のこと以外のことを考えることはなく、音楽を作っているときに「どうすれば永劫回帰から抜け出せるんだろう」なんて考えることもありません。
フロー状態にある人間は、いわばマリオのスター状態のようなものです。
芸術活動に没頭し、フローの状態になることで永劫回帰を克服できる。
芸術がいつ誕生したのかはわかりませんが、人間には元々なにかを作りたいという欲求があります。
それが必ずしも必需品でなくても、なにかを創造することに楽しみを感じるように人間の脳はできているのです。
永劫回帰を克服する
ニーチェの永劫回帰とニヒリズムについて真剣に考えると、ネガティブで暗い気分になってくる人も多いでしょう。
結局のところ人間の人生には意味などなく、生きる意味も周りに溢れるキラキラしたものにも何の価値もない。あるのはただ残酷に繰り返される永遠の苦痛だけなのだと。
しかし、そのような世界観の中でも、自分の軸をしっかり持って生きることで、人生に意味を見出し生きる意味を自分でつくることができます。
それはつまり主体的に生きるということでもあり、自分で人生に意味づけをし、ニヒリズムから自分なりの世界観に移行するということです。
人生を主体的に生き、自分で自分の人生に意味づけすることで、ニヒリズム的な世界観から脱出する。
ニーチェは永劫回帰から逃れるには、芸術的な活動に没頭するのがもっとも有益だと述べていますが、現代はやろうと思えばなんでもできる時代です。
経済的・環境的な問題は少なからず存在するかもしれませんが、日本に限っていえば、生まれによって絶対的に奴隷として生きる人生が決まっているわけではありません。
永劫回帰から続くニヒリズムを克服し、ニーチェが唱える超人として生きるには、自分の世界観を自分で構築し、自分の価値観の中で生き、自分で自分の人生や生きる意味をつくることが求められます。
人生は永劫回帰とニヒリズム的な世界観を持って生きると、残酷で苦痛なものかもしれません。
ですが、超人として生きる道を模索し、自分なりの価値観と世界観の中で芸術的に生きることで、人生をそこそこ楽しく幸せなものにできるのです。
【オススメです】電子書籍「自分を知る15の質問」が今だけ無料で貰えます
自分のやりたいことや自分軸の見つけ方がわかります。
「DISCOVERYメソッド」で学ぶことで、自分のやりたいことや自分軸の正しい見つけ方がわかり、もう他人に振り回されることがなくなり、自分がすべきことを自分で決断できるようになるでしょう。
まとめ:ニーチェの永劫回帰は、人生で大切なものを教えてくれる
今回の記事では、ニーチェの永劫回帰とはどんな意味なのかについて詳しく解説してきました。
まとめは以下のとおり。
- 永劫回帰とは、人間はただ同じような人生を永遠に繰り返していくという思想のこと。
- ニヒリズムとは、人間の存在や人生には本質的に価値がないという虚無主義のこと。
- 永劫回帰の先にニヒリズムの世界観がある。
- 永劫回帰とニヒリズムを克服するには、芸術的活動による超人にならなければならない。
- 人生を主体的に生き、自分で自分の人生に意味づけすることで、永劫回帰の中でも強く生きられる。
ニーチェの永劫回帰は、非常に後ろ向きな考えだと言わざるを得ません。
人間は同じような人生を永遠に繰り返していくだけであり、人生には本質的な意味などないというのがニーチェの思想です。
そうした考えは虚無主義であるニヒリズムへとたどり着き、人生の無価値さを実感させます。
ですが、ニーチェは芸術的な活動により、超人として生きることで永劫回帰の中でも幸せに生きられると述べました。
芸術的な活動に没頭することで、人は真に価値ある人生を生きられる。
現代では芸術に限らず、さまざまなものでフローの状態になることができます。
ニーチェは芸術的な活動が大事だと言いましたが、その本質は永劫回帰とニヒリズムを克服する生き方です。
ニーチェの永劫回帰は、没頭できる活動こそ人生において大事なのだと教えてくれます。
【Twitter】
【note】
【お問い合わせ】
コメントを残す