ストア派の禁欲主義とエピクロス派の快楽主義の違いを解説。

ストア派 禁欲主義
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最終更新日 2025年6月19日

古代の哲学にはさまざまな一派があり、それぞれに特徴があります。

たとえば、キュニコス派のディオゲネスは一切の所有物を持たない簡素な生活をしていたり、プラトンのアカデメイア派は懐疑論だったりなど。

そうした中で、よく引きあいに出されるのが、ストア派の禁欲主義とエピクロス派の快楽主義です。

一般的には、理性と知性で欲をコントロールする人のことを「禁欲主義」、快楽が生きる目的と考える人のことを「快楽主義」と呼びます。

両者の違いは明確ではあるものの、「より良く生きる」という目的は同じ。

ストア派も、エピクロス派も、「より良く生きる」という目的に対する生き方、つまり手段が異なるだけなのです。

この記事では、ストア派の禁欲主義とエピクロス派の快楽主義の違いを特徴を解説し、両者の違いを見ていきます。

 

ストア派の禁欲主義

ストア派は、一般的には禁欲主義として知られる哲学の一派です。

ストア派の「ストア」という言葉は現代でいう「ストイック」という言葉の語源であり、ストイックに禁欲的なイメージを抱く人も多いでしょう。

禁欲主義者とは、一般的には「我慢すること」「ストイックに生きる人」というイメージがありますが、実はこれは大きな誤解です。

というのも、ストア派の禁欲主義は欲をコントロールしながら生きるのは間違いありませんが、それでもしっかりと快楽を感じながら生きています。

 

禁欲主義の快楽

禁欲主義の快楽とは、自分の理性と知性を使って欲をコントロールすることで得られる快楽です。

人間の代表的な三大欲求である「食欲」「性欲」「睡眠欲」を自らの理性と知性で抑制することにより、人は征服感にも似た快楽を実感できます。

これは決して強がりなどではなく、禁欲主義の人はやせ我慢をしているわけではないのです。

禁欲がもたらす快楽には他人は一切介入せず、自分1人でいつでも感じることができます。

竜崎
たとえば、断食などはもっとも簡単に禁欲主義の快楽を実感できる行為です。

快楽を感じるために物理的な刺激を求めたりする必要もなく、外的な出来事に頼る必要がないため、禁欲主義の人の幸せにはお金は必要ない。

ただ自分の欲をコントロールする術を学び、しっかりと自分の人生を自分の選択で生きているという感覚が、禁欲主義者にとっての快楽なのです。

ストア派の人たちも、自らを禁欲主義と考えていたわけではなく、ただ欲をコントロールすることによる満足感がより良い人生につながると述べています。

 

禁欲でアパテイアを目指すストア派

ストア派は、自分の欲求や欲望、情念といったものをコントロールすることで、自らの人生の舵を握っていることに喜びを感じます。

「快楽を開放してこそ自由を感じられる」と言う人もいますが、ストア派は、自由とは欲の開放によって得られるものではなく、欲を失くしたその先にあるものと考えるのです。

欲を失くすというのは「我慢する」という意味ではなく、ストア派が提唱している「自然に従って生きる」ことで、欲がなくなるという意味になります。

竜崎
ストア派の人たちは禁欲主義的な思想に基づき、自然に従って生きることで欲を失くし、アパテイア(不動心)を目指すことが人間にとって最高の自由であり、幸せな生き方だと説いていました。

欲望をコントロールし、欲望ではなく自然に従って生きる。

意識せずとも欲を失くし、自分の人生に集中してより良く生きる。

これはストア派の目標でもあったのです。

ストア派の禁欲は「我慢」とよく誤解されがちですが、彼らには我慢しているという意識はありません。

あったのはその逆、欲を手懐けることで快楽を感じる、自由で幸せな人生です。

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禁欲主義の快楽にお金はいらない

現代人が必死にお金を稼いでいるのは、お金で娯楽を消費し、そこから快楽を得たりストレスを発散するためです。

しかし、それではたくさんの快楽を得るためには、たくさんのお金が必要になります。

現代の娯楽のほとんどはビジネスとして消費者に提供されており、消費者である一般人はお金と交換して娯楽を消費しているのです。

ですが、禁欲主義の快楽は娯楽から受け取るわけではありません。

竜崎
その意味するところは、自由な時間を差し出してまで労働に精を出さなくてもいいということ。

快感を感じるためにお金は必要としないため、労働でお金を稼ぐ必要性も低くなる。

「人生楽しんだもん勝ち」というフレーズも、多くの人はお金の対価として楽しみを受け取り、人生を謳歌しますが、禁欲主義ではお金と娯楽に頼らずとも自らの自制心によって人生を楽しく生きられます。

これを自己満といってしまえばそれまでですが、そもそも人生は自己満足的なものであり、禁欲主義の快楽が自己満足的なものであっても何の問題もありません。

 

エピクロスの快楽主義

次は、ストア派に対立すると言われる、エピクロス派の快楽主義です。

「快楽」という言葉には実にさまざまな意味が当てはまりますが、具体的には、快楽という言葉の中には「物理的な快楽」「間接的な快楽」の2つがあります。

どちらも快楽としての言葉では同じものでも、両者が意味するところは別物です。

そしてエピクロス派の快楽主義も、一般的なイメージとは異なり、ストア派と同じく心の平穏を大事にする快楽を求めています。

 

物理的な快楽と間接的な快楽

「物理的な快楽」というのは、体が直接的に受ける快楽のことです。

たとえば、おいしいものを食べたときや気持ち良いマッサージを受けたとき、あるいは性行為をしているときなどに感じる快楽のことを指します。

物理的な快楽は基本的には身体的な事柄に関わり、身体に直接影響があるものは物理的な快楽に属するもの。

それに対し「間接的な快楽」というのは、他人に褒められたときや何らかの勝負に勝ったとき、単純に自分の好きなことをしているときに得られる快楽が、間接的な快楽になります。

間接的な快楽は外部的な事象によってもたらされるものではなく、自分の内面を基点として得られる快楽です。

たとえほかの人が快楽を感じていないことであっても、自分の内面の意思や心の状態によっては、どんな事柄からでも快楽を感じられるのが特徴となっています。

✅物理的な快楽⇒体が直接的に受ける快楽

✅間接的な快楽⇒自分の内面を基点にして得られる快楽

 

快楽主義者は本能的な生き方

人間は基本的にこの2つの快楽、物理的な快楽と間接的な快楽の両方を追い求めながら生きています。

自分の行動を振り返ってみてもわかるように、人は行動の結果に快楽が伴っていない場合、自ら行動を起こすことはほとんどありません。

食べ物を食べること、たくさん眠ること、異性と性行為すること、他人から認められること、お金をたくさん儲けること、遠い地へ旅行に行くこと、これらすべては快楽を得ることを目的としていて、人間の本能的な行為でもあるのです。

快楽主義者は、常に目の前の快楽に従って生きています。

つまり、本能的な生き方こそ「快楽主義」という言葉が意味するところです。

しかし、エピクロス派の快楽主義は、このような意味とはまったく異なります。

 

心の平穏の快楽を重視するエピクロス派

快楽主義で有名な学派は、エピクロス派です。

エピクロス派はよくストア派と対立すると言われますが、エピクロス派の快楽主義は、先述したような常に快楽を求める生き方とは違います。

エピクロス派の快楽主義は、隠遁した生活から得られる心の平穏、「アタラクシア」を達成することで快楽を得るというもの。

ストア派はアパテイアで幸福を目指しますが、エピクロス派はアタラクシアを目指しているのが明確な違いです。

現代人が追い求めるのは物理的な快楽がほとんどですが、エピクロス派の場合は間接的な快楽、その中でも心の平穏状態から快楽を獲得する生き方となっています。

エピクロス派の快楽は、現代人がイメージする快楽とはまるで別物なのです。

 

物理的な快楽は長続きしない

多くの人は性行為や美味しいものを食べたりするときに感じる快楽こそ幸せであり、内面的な状態から得られる快楽には見向きもしません。

竜崎
私の周りにも物理的な快楽を重視する快楽主義者はたくさんいますし、ほとんどの人は目の前の快楽を満たしながら生きています。

「パチンコで買ったから風俗にいく」「ボーナスが入ったから焼肉を食べる」「ブランドものを買うことに喜びを感じる」といった人たちが、現代を代表する快楽主義です。

しかし、そうした事柄から得られる快楽は刹那的なものであり、本当に心を満たしてくれることはありません

物理的な快楽は長続きはせず、トレッドミルを走るかのように、次から次へと快楽を満たしていないと満足できなくなってしまう。

物理的な快楽にハマることの怖さはここにあり、最近では「ドーパミン中毒」とも言われています。

エピクロスも快楽の危険性を理解し、だからこそ隠遁生活から得られる心の平穏、アタラクシアでの快楽を目指していたのです。

 

ストア派の禁欲主義とエピクロス派の快楽主義の違い

ストア派の禁欲主義も、エピクロス派の快楽主義も、どちらも目指すべきところは同じです。

古代の哲学の多くはソクラテスを源流とし、それぞれの生き方を通して「より良く生きること」で、その結果として幸福を実現するのが目的です。

そのため、ストア派が正しくてエピクロス派は間違い、逆にエピクロス派が正解でストア派はダメということはありません。

両者は目的に対する手段が異なるだけで、最終的な目的地である幸福な人生は同じです。

ストア派が禁欲を重視し、エピクロス派が快楽と重視しているという点で明確な違いはありますが、最終的な目的が同じであればさほど問題ではありません。

自分の価値観と合う哲学を選べば、どちらの学派も幸せになるための手助けとなります。

竜崎
私はストア派の哲学を人生の指針としていますが、だからといって快楽を否定しているわけではありません。

ストイックな生き方をしていると言われることもありますが、自分ではストイックに生きているつもりも、禁欲的に生きているつもりもなく、それなりに快楽を感じながら楽しく生きています。

哲学は生きる指針となるものであるからこそ、それぞれの学派の特徴と目的を理解し、自分に合致するものを参考にするのがおすすめです。

 

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まとめ

ストア派の禁欲主義と、エピクロス派の快楽主義は、どちらも幸福が最終的な目的です。

そのために、ストア派は禁欲でアパテイアを、エピクロス派は快楽でアタラクシアを手に入れようとしています。

竜崎
私がストア派を指針としているのは、ただ自分の性格的にストイックに生きるのが楽しく、自分をコントロールすることに快楽を感じているからです。

快楽は悪いものではなく、快楽を得る手段は人それぞれ異なります。

ストア派の禁欲主義、エピクロス派の快楽主義、あなたはどちらの価値観が自分に合っていますか?

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