こんにちは、竜崎です!
突然ですが、みなさんは「自立」という言葉にどんなイメージを持っているでしょうか?
- 社会人になって一人暮らしをすれば自立。
- 就職して自分をお金を稼げるようになれば自立。
- 自分の生活をすべて自分でやるようになれば自立。
人それぞれ「自立」という言葉に抱いているイメージは異なります。

学校を卒業し、親元から離れて一人暮らしをすることで自立したことになる。
しかし、それは本当でしょうか?
現代では「自立=一人暮らし」と短絡的に考えられていますが、はたして親元を離れて一人暮らしをしているだけで自立していると言えるのか?
今回の記事では、「自立」という言葉に込められた本当の意味について解説していきます。
- 一人暮らしすれば自立したことになるのか?
- 自立に込められた2つの意味
個人的な意見としては、自立とは決して一人暮らしをしたからといって達成されるものではないと思っています。
もちろん自分の力で生活することも大切ですが、人が本当の意味で自立するためにはお金以外の面での自立も必要なのです。

目次
一人暮らしすれば自立?

近年は「自立できていない大人が増えている」という声をよく耳にします。
ですが、そもそも「自立」という言葉にどういう意味が込められているのかを真剣に考えたことがある人は少ないでしょう。
個人的な意見としては、現代では「自立」という言葉の意味が捻じ曲げられているように感じます。
というのも、現代では「一人暮らしすれば自立している」という認識が当たり前になっているからです。

現代の「自立」は経済的な自立
おそらく、ほとんどの人たちは「自立=一人暮らし」という考えを持っているでしょう。
就職して自分でお金を稼ぎ、親元を離れて一人暮らしをし、自分のことは自分でやる。それが「人として自立する」と思っている人も大勢います。
たしかに、自分で生活するためのお金を稼ぐことは大切です。
大人になっていつまでも親からお小遣いを貰って生活しているのは、とてもじゃないが自立しているとは呼べないでしょう。

つまり、「経済的な自立」という意味です。
そして、経済的に自立人しているからといって、人として自立していることの証明にはなりません。ここが多くの人たちが勘違いしてしまう部分です。
「自分でお金を稼いでいれば自立している」「一人暮らししていれば自立している」と考えるのは、経済的な側面からしか自立という言葉を考えていません。
「自立=一人暮らし」という考えは、自分で自分の首を絞め、生きづらさを感じる原因にもなります。
- 「自立できていないから、自分はダメな人間だ」
- 「いつまでも親に甘えていて、みっともない」
- 「早く自立しないと、周りからの目が恥ずかしい」
そもそも、「一人暮らしすれば自立している」という認識は、不動産屋が儲けるためにつくられたものです。
「子ども部屋おじさん」という言葉もまさにそうですよね。

人間関係の自立
では、自立した大人に本当に必要なのは何でしょうか?
それは、精神的な自立です。
いくら経済的に自立していたとしても、精神的に自立していなければ一人前の大人とは言えません。
もちろん精神的に自立していたとしても、経済的に自立できていないのであれば、本当の意味で自立した人とは言えないでしょう。

つまり、他人に依存したり執着せず、自分一人だけでも人生を楽しく生きられる精神のことです。
とはいっても、精神的な自立をするために人間関係を断ち切る必要はありません。
家族や友達、恋人や同僚と楽しい時間を過ごすことも、人生の醍醐味であり幸せの形の一つです。
ここで述べているのは、他人に対して過度に依存や執着、期待をしてはならない、ということ。
- 自分1人でも人生を楽しめる。
- 他人に依存や執着をしない。
精神的に自立できていない人は孤独耐性が低く、ちょっとでも寂しさを感じると、友達と遊ぶ約束をしたり恋人に電話をかけたりします。
一人でいる時間の孤独感に耐えられず、常に誰かとつながりを求めるてしまう。
もちろん、それが悪いことだとは言いませんが、「他人がいないと楽しくない」状態になってしまうと、精神的にいつまでも子どものままです。
精神的に自立できていないと、他人に依存して執着することでしか楽しさや充実を感じることができなくなります。
- 常に他人とのつながりを求める。
- 他人がいないと人生を楽しめない。
- 過度に依存と執着をしてしまう。
一人の時間は寂しさを感じる時間でしかなく、常に「誰か」がいないと毎日が充実しない。人とつながることでしか自分を満たすことができない。

自立に取り憑かれる現代人
そもそもの問題として、
- 「社会人=自立しなければならない」という風潮はいつから生まれたのか?
- 「一人暮らし=自立」という認識は、いつから世間の当たり前になったのか?
- 大人になったら、必ずしも自立して一人暮らししなければならないのか?
という疑問が頭に浮かんできませんか?
よく、大学生がお金がなくて困っている様子をSNS上でも見かけますよね。
大学生に限らず、社会人になっても給料が低く、満足した生活を送れないと呟いている人も多いです。

ですが、なぜ経済的な悩みを抱えているのにも関わらず、実家を飛び出し一人暮らしをしているのか?
なぜお金がないとわかっていながら、お金がかかる生活をわざわざ自分で選んでしまうのか?
おそらくほとんどの人は「自立」することに取り憑かれてしまっています。
- 「社会人になったら、自立するのが当たり前」
- 「大人になったら親元を離れ、自分の力で生活するのが普通」
そうした世間の常識や当たり前を自分で勝手に背負い込み、自分で自分を追い詰めてしまっているのです。
自立というイデオロギー
「一人暮らし=自立」という認識を持っている人は、「社会人になったら、一人暮らししなければならない」という世間の当たり前を背負い込んでいます。
一人暮らしして自立していれば、人間的にしっかり生きているような気がするし、頑張って自立している自分を誇らしく思う人もいるかもしれません。

「自立しなければならない」という世間の当たり前を背負うことで、つらくても苦しくても自分でお金を稼ぎ、自分の力で生活しなければならないと思い込む。
「生きてるのが楽しくない」「毎日つまらない」と言っている人の多くは、自分で自分を追い込んでいることに気づいていません。
一般的な意味でいう「自立」にはお金がかかります。
何度も言うように、世間では「自立=一人暮らし=自分でお金を稼いで生活すること」と思われているので、お金と自立は切り離せません。
誰だって他人からダメな人間だとは思われたくないですよね^^;
そう思われたくがないために、人は生きづらさを感じながら頑張って自立しようとします。
- 周りから「自立できていない」と思われたくない。
- 自立していれば頑張って生きているような気がする。
- 成人したら、とりあえず実家を出ないといけないと思い込んでいる。
ですが、お金がないことは悪いことではありませんし、お金がないなら実家で家族と暮らしたり、できるだけ生活コストを抑えて生きる方法だってあります。
にも関わらず、多くの若者や大人たちが、お金に困っていながら一人暮らしやお金のかかる生活に執着するのはなぜか?

「自立」に込められた2つの意味

ここからは、さらに「自立」という言葉の意味を深堀りしていきます。
「自立」という言葉を我らがGoogleで検索してみると、以下のように出てきます。
自立(ジリツ)とは、
1:「他への従属から離れて独り立ちすること」「他からの支配や助力を受けずに存在すること」
2:「支えるものがなく、そのものだけで立っていること」
自立という言葉は、「社会的自立」「精神的自立」の2つから成り立っているものです。
- 社会的自立
- 精神的自立

社会的自立
さきほどの、自立の説明の1つ目である「他への従属から離れて独り立ちすること、他からの支配や助力を受けずに存在すること」というのは、まさしく「社会的自立」のことです。
一般的にいえば、社会的自立は「経済的に自立しているかどうか」であり、学校を卒業して企業に就職することで、経済的に自立するため必要なお金を手にしたといえます。
人によっては学生のときからアルバイトをしたりして、自分でお金を稼いでいる人もいるでしょう。
ですが、学生のアルバイトだけで一人暮らしするだけのお金を稼ぐことは難しいです。

学校を卒業して就職し、生活するだけのお金を自分の力で稼げるようになった状態。
社会的自立は、経済的に自分で生活できるだけのお金を持っているかによって判断されるものです。
たとえ実家暮らしだろうが一人暮らしだろうが、それと社会的自立には何の関係もありません。
社会的自立はあくまでも、「自分1人のお金で生活できるかどうか」が判断基準となります。
とはいっても、いくら経済的に自立していても、実家にいる限りは本当に自立しているとはいえないと考える人もいるでしょう。
- 掃除や洗濯を自分でしていないと、自立いるとは言えない。
- 自分で生活をやりくりしていないのは、ただの甘え。
上記のようなことを考える人も多くいます。
ですが、本当に自立したいと思うのであれば、たとえ実家にいようと、自分でご飯をつくり、自分の服は自分で洗濯し、掃除、米研ぎ、食器洗い、ゴミ出しはできますよね。
さらに、家賃の支払いや、電気・ガス・水道代などのお金のやりくりも自分で計算したり、親と半分ずつ支払えばいいだけの話です。

これは次の「精神的自立」にもつながってくる話です。
精神的自立
次は、「精神的自立」について解説します。
精神的自立とは、さきほどの自立の説明の2つ目、「支えるものがなく、そのものだけで立っていること」という意味です。
ここではその意味を「精神的自立」として置き換えて考えていきますが、簡単に言うと、精神的自立は主に「精神が自立しているかどうか」で判断できます。

そして、精神的自立でもっとも重要なのが、前半のほうで述べた他人から自立しているかどうかという部分になります。
他人から自立しているかどうか。
普通の人なら中高生のうちから自分で自分の進路を決めたり、アルバイトをするかどうか、部活に入るかどうかなど自分で考え、決断し、行動しているでしょう。
ですが、そうした人の中にも、他人から自立している人というのはおどろくほど少なかったりします。
子どもたちは小学校に入るなり、「友達100人でっきるっかなぁー♪」という歌を歌わされますが、これは「友達は多ければ多いほどいい」というある意味洗脳です(笑)

精神的自立をするには、自分だけで思考・決断・行動するだけでは足りません。
他人に依存や執着することなく、一人で生きていける心の強さを持つことが不可欠です。
実家暮らしをしている人は社会的(経済的)には自立できていたとしても、精神的には自立できていない人が多い傾向にあります。
しかし、それは「一人暮らししなければ精神的な自立は果たせない」と言う意味ではありません。
大切なのは、「他人がいなくても人生を楽しめるかどうか」なのです。
【まとめ】自立とは心の状態のこと

今回の記事では、「自立」という言葉に込められた本当の意味について解説してきました。
- 一人暮らしすれば自立したことになるのか?
- 自立に込められた2つの意味
みなさんは普段「自立」という言葉を普段何気なく使っているでしょう。
しかし、その言葉が意味していることを深く考えてみると、言葉の本当の意味と現代人の解釈には大きな差があることに気づきます。
自立はまさにその典型であり、一人暮らしをしている人を見ると世間は簡単に「自立している」と思い込むでしょう。
ですが、自立は一人暮らしをした状態ではなく、一人で生きられるお金を持ち、他人に依存していない心の状態なのである。
- 一人で生きられる経済的な自由を果たしている状態(社会的自立)
- 他人に依存や執着をしていない状態(精神的自立)
自立はなにも一人暮らしでしかできないわけではりませんし、お金を稼いでるから自立しているわけでもありません。
自分で勝手に世間の当たり前を背負い込み、自立の概念に縛られて自分で自分を追い込むのはバカげています。

昔は家族みんなで支えながら、助け合いながら、団欒と暮らしていました。
世間の声に惑わされず、何事も常に自分で考え、選択し、行動していきましょう!
********
記事の感想や質問、その他相談したいことなどがあれば、TwitterのDMや質問箱、メールなどでいつでもご連絡ください。
********