最終更新日 2024年2月5日
こんにちは、竜崎(@ddd__web)です。
古代ギリシャやローマ時代には、さまざまな言葉が存在します。言葉にはたくさんの意味が込められていて、文脈によっても意味が変わるものが多いです。
たとえば、アリストテレスが提唱した「エウダイモニア」という言葉には、幸福という意味だけでなく、繁栄や安寧といった意味も込められています。
多くの人は幸福という言葉を1つの言葉として考えていますが、ギリシャ語ではエウダイモニア、つまり幸福には繁栄と安寧も必要だという意味が込められているのです。
この記事で取り上げるのは、ソクラテスがより良い人生に不可欠なものだと述べた「アレテー(徳)」という言葉について。
アレテーには、徳という意味以外にも、人間の美点、すなわち絶対的価値の源という意味があり、ソクラテスからプラトン、アリストテレスからストア派まで脈々と受け継がれてきた言葉です。
アレテーとはどういうものなのか、アレテーの意味について深く知りたい人は、ぜひ最後まで読んでみてください。
目次
アレテー(徳)とは
アレテー(徳)とは、「卓越性」と訳されるものであり、簡単に言えば「人間が持つ道徳的な卓越さ」のことを指します。
アレテーがもっとも重要視されたのは古代ギリシャ・ローマ時代のことで、この時代では善や徳に沿った生き方がもっとも優れていると言われていました。
ソクラテスが示した「より良い人生」のためには、アレテーが不可欠だと思われていたのです。
現代ではアレテーや徳という言葉はほとんど聞くことがありませんが、現代においてもアレテーを持った生き方をするのが大事だと言えます。
というのも、人生で後悔したり生きづらさを感じているのは、往々にしてアレテーが欠けた生き方をしていることが多いからです。
ムソニウス・ルフスいわく、「人間は生まれつき美徳に惹かれる生き物である」
つまり、アレテーに沿った生き方は人間の本能的な生き方なのです。
ソクラテスが唱えたアレテーの意味
古代ギリシャの哲学者であるソクラテスは、「知恵・勇気・自制・公正」の四元徳を何よりも重視していました。
言うまでもなく、これは先述したアレテーのことです。
「人間の価値は、どんなときにも活用できる知恵と、倫理的・道徳的に沿った生き方をする勇気と、欲望に溺れないよう常に自制心を保ちつつ、誰にでも対等・平等に接する公正さを持つことにある」と、ソクラテスは述べています。
現代人は古代ギリシャに生きているわけではありませんが、四元徳についての考え方は現代社会に生きる人たちにも役立つものです。
昔よりも豊かになり、仕事をして自分でお金を稼げるようにもなり、行きたい場所や食べたいもの、やりたいこともある程度なんでもできる時代に生きていながら、毎日なにをすればいいのかわからなかったり、孤独感や疎外感を感じている人、生きづらさや不幸を感じている人がたくさんいます。
お金をたくさん稼げば幸せになれると思っていたのに、実際にお金を手にしても大して変わらなかったという人もいるでしょう。
大事なのは知恵と知識を身につけ、自分の意志に従う勇気を持ちつつ、自制心を持ちながら他人に対して広い心を持って接すること。
ソクラテスやプラトン、アリストテレスといった古代ギリシャの哲学者たちが重んじていたアレテーは、決して誰にも奪われることがない、自分の価値と人間性を高めてくれるものです。
ストア派の四元徳とアレテー
ソクラテスの意思を引き継いだ哲学である「ストア派」の人たちも、人生をより良く生きるためには「知恵・勇気・自制・公正」の四元徳が必要だと考えていました。
ストア派とは、現代風に言えば「態度が悪い仏教徒」のような人たちであり、四元徳に沿った生き方をする上で「アパテイア(不動心)」に達することを目的する哲学派です。
アパテイアについて詳しく知りたい人は、以下の記事を読んでみてください。
ストア派の言う「知恵」とは、複雑な状況や環境の中で生き抜く知識のこと。
「勇気」とは、すべての事柄に対し、物理的かつ倫理的に正しいことをする勇気のこと。
「公平」とは、すべての人に対し、地位に関わらず公平かつ親切に接すること。
そして「節制」とは、人生のあらゆる面において、節度を持って自制すること。
とは言っても、これを読んでいる人たちは哲学者ではありませんし、ストア派というわけでもありません。
そもそも、人間にはアレテーに沿った生き方や、何事にも動じないアパテイアの心を持つことはほぼ不可能であり、哲学者たちが述べる理想的な人間のようには生きられません。
アレテーも四元徳も、あくまで「より良く生きよう」とする人たちの指針となるものなのです。
アリストテレスの最高善とアレテー
アリストテレスはソクラテスのアレテーを別の形として捉えたました。
ソクラテスがアレテーに沿った生き方を提唱し、その弟子であるプラトンはイデア論を背景とした善のイデアを提唱し、ストア派は四元徳を重視しました。
これらは言い方こそ違うものの、すべてソクラテスのアレテーが基点となっています。
そして、アリストテレスもまたアレテーを別の言い方で表現しました。それが「最高善」というものです。
アリストテレスは最高善を人間の究極目的と考え、エウダイモニア(幸福)になるために必要なものだと捉えていました。
アリストテレスにとってのアレテーとは幸福そのものであり、最高善に至るためには観照的な活動が必要だと述べ、それこそアレテーに沿った魂の活動であると説いたのです。
しかし、アリストテレスも人間は最高善にたどり着けるとは思っていませんでした。観照的生活は神的な生活であり、人間には属さないものだと思っていたからです。
アリストテレスはソクラテスのアレテーを否定したとも言われていますが、古代の哲学が目指すところはどれも同じでした。
それは人間の幸福であり、より良い人生というものです。
アレテーに沿った生き方はできるのか
何度も言うように、古代ギリシャでは人間性こそ本当に価値のあるものだと思われていて、その人間性を磨くためにアレテーという徳に沿った生き方をするのが大切だと思われていました。
しかし、現代ではアレテーに沿った生き方をするのは難しく、そもそも「徳」と聞いただけで反射的に敬遠する人も多く、道徳と聞けば堅苦しくめんどくさいものだと思う人も少なくありません。
哲学者たちが述べる概念の多くは理想主義であり、実際にそれを実践できる人は賢者だけだとも言われています。
では、人はアレテーを持って生きることはできないのでしょうか。
哲学は理想主義
自分はストア派の思想に感銘を受け、ストア派の生き方に大きな影響を受けてきました。
今でも、迷ったときや悩んだとき、選択や決断に迷ったときなどはストア派の考えに従って意思決定をおこなうことが多いです。
でもそれは、ストア派として生きているわけではなく、日々の生活の中でストア派の考えを取り込める場面において参考にしているだけに過ぎません。
自分は哲学者ではありませんし、なるつもりもありません。そして、人は完璧には生きられないことも知っています。
ソクラテスやプラトン、アリストテレスやストア派といった哲学の多くは理想主義であり、人間の生き方は「こうあるべきだ」と説く学問です。
ですが、そもそも人間に「こうあるべき」という生き方は存在しません。
そして「~であるべき」と言うのは、その人の理想と願望が入り混じっている状態です。
アレテーにしても、徳に沿った生き方をするのは大切ですが、アレテーを実践しながら生きられる人は現実にはほとんどいないでしょう。
それは、アレテー自体が古代ギリシャの哲学者たちが作った言葉であり、そこには理想が混じっているからです。
道徳と倫理
アレテーは「人間が持つ道徳的な卓越さ」のことを指しますが、それはなにも道徳的に優れていればいいわけではありません。
より良い人生には、道徳と合わせて倫理も必要だからです。
ストア派の哲学は「論理学」「自然学」「倫理学」の3つで構成されていますが、その中でも倫理学はストア派がもっとも重要視した学問でもあります。
道徳性だけが卓越していても、倫理が歪んでいてはより良い人生は生きられません。
倫理とは「何が正しくて、何が間違っているか」を判断するときの根拠のこと。
一般的には道徳も倫理も一緒のものと考えられていますが、ストア派の倫理学は「より良い生き方」を説く学問であり、言葉の意味からしてまったくの別物です。
倫理と道徳はコインの表と裏の関係性であり、「倫理なくして道徳なし、道徳なくして倫理なし」とも言えます。
言うまでもなく、アレテーは道徳と倫理が合わさった姿で、人間の生き方としては最高のものです。しかし、最高であるがゆえに誰もたどり着けない。
ですが、倫理だけはどんなときでも失っちゃならないものです。「何が正しいか」はわからなくても、「何が間違っているか」は大体わかるでしょう。
人によって何が幸福かは異なっていますが、何が不幸の原因となるかは誰も似たようなもの。倫理的な思考とはそういうものです。
つまり、正しいことがわからなくても、間違っていることを排除した結果、自然と正しいことだけが残ります。それだけを倫理の指針にすればいいのです。
アレテーは心が大事
人生をより良く生きたいと願う人は多いでしょう。自分も少しでも楽しい時間を増やし、後悔する選択を減らし、できる限り充実した人生を送りたいと思っています。
アレテーなどの概念は、その少ない言葉の中に生きる上で大切な意味がたくさん込められています。
考えるべきは人間の理想の姿ではなく、どうすればより良く生きられるかです。
アレテーは元々ソクラテスが提唱した概念です。その後、プラトンが善のイデアを提唱し、プラトンの弟子であるアリストテレスが最高善とエウダイモニアという考えを唱えました。
ストア派も元々はソクラテスの哲学を主流としていたため、ストア派が唱える徳はアレテーを4つに分類した四元徳となったのです。
どの哲学者が唱えるアレテー(徳)も目指すところは同じ、「人生をより良く生きる」ためのもの。
アレテーがたとえ理想主義的なものだとしても、アレテーに沿った生き方を意識することで、日々の生活を充実したものにできるでしょう。
アレテーが教えてくれるのは、より良く生きるためには徳が必要ということであり、美徳こそ人間性の中でもっとも尊く、もっとも価値のあるものだということです。
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まとめ:アレテーはより良く生きるための指針となる言葉
今回の記事では、アレテーとは何かについて解説してきました。
まとめは以下のとおりです。
- アレテーとは人間が持つ道徳的な卓越さのこと。
- アレテーを唱えたのはソクラテスが起源。
- ストア派によってのアレテーは「知恵・勇気・自制・公正」の四元徳のこと。
- アリストテレスにとってのアレテーは「最高善」だった。
- アレテーのような生き方は理想主義であり、完璧には実践できない。
- アレテーはより良く生きるための指針となる言葉。
アレテーという言葉は人間の道徳的な卓越さのことであり、ストア派的に言うと美徳に沿った生き方という意味になります。
ストア派の美徳は四元徳で表され、それは「知恵・勇気・自制・公正」の4つです。
これらは人生をより良く生きる指針となるものであり、古代ギリシャでは幸せな人生を送るために不可欠なものだと言われていました。
そしてそれは現代でも変わりません。アレテーや四元徳に沿った生き方をするのは、心が豊かで幸せに生きるために役立ちます。
歳をとってから後悔する人生を送りたくない人は、アレテーや四元徳に沿った生き方を意識してみましょう。
きっと今よりも充実感を感じることができ、一時的な喜びではなく、もっと深い喜び、本当の幸せを感じられるはずです。
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