【デルフォイの神託とは】アポロン神殿の「デルフォイの神託」が教えてくれること。

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最終更新日 2023年7月14日

こんにちは、竜崎(@ddd__web)です。

古代ギリシャにはソクラテスをはじめ、プラントやアリストテレスといった現代にも語り継がれる賢くて聡明な哲学者が数多く存在していました。

彼らの知恵は数千年後の現代にも役に立つものが多く、ソクラテスの「無知の知」といった格言をはじめ、先人たちの哲学は情報社会を生きる人にとっても重要なものです。

そうした中で、昔から語り継がれている格言の一つに「汝自身を知れ」というものがあります。

この言葉は、アポロン神殿のデルフォイの神託というものであり、古代ではデルフォイの神託を神の予言として人々の運命を左右するものとされていました。

今回記事では、このデルフォイの神託について詳しく解説していきます。

 

デルフォイの神託とは

はじめにも言ったように、「汝自身を知れ」という格言は、アポロン神殿に刻まれた「デルフォイの神託」というものです。

デルフォイとは、ギリシャの中部にある古代都市デルフォイの「聖域」として知られる場所であり、デルフォイにあるアポロン神殿の入り口に「汝自身を知れ」「Meden agan」という2つの格言が刻まれています。

プラトンの「プロタゴラス」の中では、ソクラテスが「七賢人が神殿に集まりこの碑文を残した」と書かれていますが、実際には誰が書き残したのかはわかりません。

ここからは、デルフォイの神託の「汝自身を知れ」と「Meden agan」の2つの意味を詳しく見ていきましょう。

 

汝自身を知れ

「汝自身を知れ」という言葉は、おそらく誰もが一度は聞いたことがある格言でしょう。

この言葉は、人生の道に迷っているときや、やりたいことがわからないとき、自分の生きる意味や選択に悩んでいるときなどによく使われ、一般的には、「汝自身を知れ=自分自身を知れ」という意味として解釈されています。

自分自身を知るというのはそのままの意味として解釈でき、自分はどういう人間なのか、何が好きなのか、何を求めているのか、何がしたいのか、どこに行きたいのかといった、自分自身にまつわる事柄すべてに当てはまるものです。

ですが、「汝自身を知れ」という言葉を残した人は、本当にそうした意図を持ってこの言葉を残したのか。

個人的には、汝自身を知れという言葉は、上述したような若者が悩みそうなことについての格言などではなく、もっと広範なことについて述べているのではないかと思っています。

というのも、「汝自身」とは「私」ではく、すなわち「人間」のことなのではないでしょうか。

つまり、汝自身を知れというのは「人間を知れ」という意味であり、「自分は何が好きなのか」といった平凡な悩みに対する答えではありません。

「人間という生き物を理解せよ」という、神の存在が絶対的に信じられていた時代ゆえの言葉であると思うのです。

「汝自身を知れ」とは「人間という生き物を理解せよ」という意味の格言。

現代では個人主義が広く行き渡っていて、若者をはじめ多くの人が「個」に集中しています。

これからは個の時代だと言わんばかりに、自己分析やら自分探しの方法などが溢れているのがわかりますよね。

ですが、私たちは一人ひとりの個である前に「人間」なのです。

そして、デルフォイの神託のもう1つ「Meden agan」という言葉にも、「汝自身」が「人間」を指しているということを裏づける意味が込められています。

 

Meden agan(度を越すなかれ)

アポロン神殿に刻まれた格言として「汝自身を知れ」を知っている人は多いでしょう。

ですが、もう一つの格言である「Meden agan」について知っている人はあまり多くありません。

Meden aganは古代ラテン語で「度を越すなかれ」という意味であり、「過剰の中の無」という意味で解釈されることもあります。

アポロン神殿に刻まれているこの第二の格言こそ、先に書いた「汝自身を知れ=人間を知れ」という解釈を裏づけていると考えることができるのです。

というのも、「度を越すなかれ」という言葉も「何事もほどほどが一番」という意味の言葉ではなく、「人間の限界を知れ」という意味の言葉だと解釈できます。

「Meden agan=人間の限界を知れ」という意味の格言。

ギリシャ神話には、ゼウスをはじめオリュンポス十二神として多くの神々が登場しているとおり、古代ギリシャ時代では神が本当に実在していると疑っていませんでした。

神は運命を絶対的なものとして掲げ、人間と自然を創造し、この世界と宇宙をもコントロールしていると思われていたのです。

神の存在は絶対的なものであり、何者にも邪魔することはできず、神に逆らうことなどもってのほか。

ましてや、神が創造した人間が神に近づこうなどとは考えてはいけないことであり、人間が神になろうとするのは神への冒涜、侮辱であるとさえ考えられていました。

そうした考えが古代ギリシャではあたり前であり、疑いようもない真実だったのです。

だからこそ、多くの人々への警告として、先人たちはアポロン神殿のデルフォイの神託に「Meden agan」、「度を越すなかれ」という言葉を刻んだのではないでしょうか。

つい人間であることを忘れ、欲求と欲望を享受しながら永遠に生きるかのように生きている人々を見つめながら。

 

デルフォイの神託が教えてくれること

私たちは紛れもなく人間です。

お腹が減れば食べ物を食べ、眠くなれば睡眠をとり、他人と言語を使ってコニュミケーションを交わし、信用と協力によって数多くのことを実現してきました。

多くの争いと戦争を経て、都市国家を設立し、社会という目には見えない抽象的なものを誰もが信じるからこそ、貨幣による交易や社会システムは成り立っているのです。

これほどまで多くのものを生み出し、進化と退化を繰り返しながらも人類はなんとか前へと進んできた。

その結晶が私たち現代人です。

 

どれだけ進化しても私たちは人間

人間である私たちは、今や科学技術を駆使して遺伝子を操作したり、テクノロジーにより宇宙へと飛び立ったり、再生医療により不老不死にまでなろうとしています。

しかし、たとえどれだけ文化や技術が発展しようとも、人間の脳はおよそ5万年前からなにも進化していません。

死すべき生物である人間としての枠組みを超えることはいまだできず、知識が大量に蓄積されたとしても、私たちは100年もすれば死に抗うこともできず無力に死んでいく。

デルフォイのアポロン神殿に刻まれた2つの格言である「汝自身を知れ」「Meden agan」という言葉は、私たちが紛れもなく死ぬ運命にある人間であることを思い知らせ、死は克服するものではなく受け入れるものであることを教えてくれます。

 

人間は死すべき存在

死に方について考えることができれば、死を必要以上に恐れることもなくなる。

これは、死は悪いものではなく「死を恐れるのは死についての自分の思惑である」とするストア派の教えでもあります。

死を意識することで、今自分が生きているのがどれだけ恵まれていることか、人間の命とはどれだけ儚いものなのかを知ることができます。

すべてが一瞬にして失われる可能性があるからこそ、今この瞬間の生が輝き、今を懸命に生きられるのです。

死について考えることは、決してネガティブなことではありません。

ストア派の実践者であるセネカは「人は毎日死につつある」と述べています。

人は誰もが死に向かって歩いているのだから、死に方について考えるのは前向きな考えだといえるでしょう。

死を避け、自分からもっとも遠い事柄だと思い込むことこそ、ネガティブで後ろ向きな考えなのです。

 

死は恐れるものではない

死は決して後ろ向きなものではなく、人間であるなら誰もが行き着く先が死です。

しかし、人はもっとも身近な友達である死を自分とは無縁だと考えがちであり、これはデルフォイの神託に反しています。

先人たちは人間として気高く生きるようにと、わざわざ神殿に格言を残してくれたのです。

現代は昔よりも豊かになるにつれ、自分のライフスタイルについて考える人が増えています。

ですが、人間の生活は不確実性に満ち溢れ、明日何が起こるのかもわからない世界で生きていることを忘れてはなりません。

人間は神の運命によって決められ、すべては神のみぞ知る。人が漠然とした不安を抱えるのは「わからない」からです

もちろん、死そのものも誰にもわかりません。ですが、わからないからこそ思い悩む必要がないのです。

よくストア派と対比して語られる快楽主義者であるエピクロスは、「死は恐れるものではない。私が存在しているときは死は存在せず、死が存在するときは私は存在していないからだ」と述べています。

こうした、「死を意識するきっかけ」「死すべき存在の人間」であることを思い出させてくれるのが、デルフォイの神託「汝自身を知れ」と「Meden agan」です。

現代人は先人たちが残した言葉の意図を都合よく解釈しがちですが、言葉に隠された教訓を読み取らなければなりません。

 

人間であるということ

人間の不安の根本には死が存在しています。ゆえに、人は死を恐れ、できるだけ死について考えないようにして生きています。

ですが、生き方やライフスタイルばかり考えて生き詰まっている人は、自分にこう問いかけてみるのがいいでしょう。

「自分は一体どのように死にたいだろうか?」

人間は死すべき存在としてこの世に生を受け、その時が来れば静かに退場していくだけの存在です。

しかし、人はそれを受け入れることがなかなかできません。

死があるからこそ、家族や友人と多くの時間を過ごし、人間であることに喜びを感じ、他人や社会のために役立つことをしようという気持ちになれます。

人間は生まれながらにして社会的な生き物だと言いますが、それもすべては「死」が絶対的なものだからこそ成り立つものです。

毎日の生活と人生に幸せを感じ、喜びと満足を得るためには「人間であること」「死ぬべき生き物であること」を常に意識しておかなければなりません。

アポロン神殿のデルフォイの神託は、人生の意味に悩み、生きる意味を見失っている人にこそ役立つ言葉です。

人間として立派に生き、勇敢に死を迎える。それが人間という生き物なのです。

 

まとめ:デルフォイの神託は死と向き合うための格言

今回記事では、デルフォイの神託について詳しく解説してきました。

まとめは以下のとおり。

今回の記事のまとめ
  • デルフォイの神託とは、アポロン神殿に刻まれた2つの格言のこと。
  • 汝自身を知れとは、自分ではなく「人間という生き物を知れ」という意味。
  • Meden aganとは、人間の限界を知れという意味の格言。
  • デルフォイの神託は、人間が死すべき生き物だということを教えてくれる。
  • 死と向き合うことはネガティブなことではなく、前向きな考え。

デルフォイの神託には、人間として生きる上で大切な格言が刻まれています。

それが「汝自身を知れ」と「Meden agan」という言葉です。

この2つの格言は、私たちが人間であるということを思い出させ、いつか死すべき存在であることを教えてくれます。

現代では死をネガティブなものとして扱っていますが、古代ギリシャでは死は良い人生を生きるために向き合うべきものでした。

死を意識することで当たり前の日常が当たり前ではなくなる。

ストア派をはじめ、多くの哲学者たちは死を不可避のものとして受けていれていました。

デルフォイの神託に刻まれた格言は、現代人に対して死と向き合う大切さを教えてくれる言葉です。

個人主義が強く根差している現代だからこそ、私たちは自分が「個」である前に、一人の「人間」であることを意識するのが大事なのではないでしょうか、

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