最終更新日 2024年2月5日
こんにちは、竜崎(@ddd__web)です。
みなさんは、以下のようなことを思ったことはありませんか?
- どれだけ頑張っても一向に努力が報われない。
- 努力は本当に報われるのか。
- 努力が報われるなんて、成功した人が言う綺麗ごと。
努力しても報われない。頑張っても意味がない。正直に生きていても損をするだけ。
実際、こういう思いながら生きている人はとても多いです。
スポーツなどで努力しても結果が伴わないことだってありますし、大して努力していない人のほうが結果を残すこともあります。
そういうのを目にすると「結局は才能があるかどうか」「努力が報われるかどうかは運次第」と思ったりもするでしょう。
「努力が報われない」というパワーワードは、一生懸命頑張って努力している人の意欲を削いでしまいます。
ですが、本当に努力は報われないものなのか。
結論から言うと、最終的に努力が報われるかどうかは運次第でもあります。
ですが、正しい方向性で努力することで報われる可能性を高めることは可能です。
そして、努力が報われないとしても「無駄な努力」は何ひとつありません。
今回の記事では、なぜ努力が報われないことがあるのかを解説していきます。
努力が報われないと思っている人は、ぜひ最後まで読んでみてください。
目次
努力は報われない?
世の中には「努力は必ず報われる」と信じている人と、「努力は報われない」と信じている人がいます。
努力が報われると信じている人は、毎日コツコツ頑張り、いつか報われる日を夢見ながら淡々と努力し続ける。
一方、努力が報われないと思っている人は「何をやっても意味がない」「どうせ結果なんて出ない」と考え、めんどくさい努力をしようとは思わない。
これはどちらが正解かという問題ではなく、単に本人のメンタリティの問題です。
努力が報われるかどうかは自分次第ではありますが、以下で詳しく説明するとおり運の要素も大きく関係しています。
努力は方向性を間違うと報われない
何年か前に、元AKB48の高橋みなみが以下のようなことをテレビで言ってるのを聞きました。
「私は努力が必ず報われるということを、自分の身をもって証明します!」
それから数年後、プロ野球選手であるダルビッシュがこんなことを言ってるのを聞きました。
「努力は裏切りますよ。やり方や方向性が間違っていれば簡単に」
個人的には、前者のように希望を持ち続けながら努力している人を応援したくなる気持ちがあります。
努力は報われる。努力はいつか実を結ぶ。努力は決して裏切らない。
ですが現実はダルビッシュが言うように、努力は簡単に裏切るし、報われないことのほうが多いです。
なぜか?
大事なのは「努力の方向性が合っているかどうか」であり、「努力しているかどうか」ではないからです。
「毎日努力してればいつかは報われる」「いつか必ずいいことがあるはずだ」と思いながら努力していると、間違った方向に進んでいても気づけません。
ガムシャラに根性論で努力している人には、こういったタイプの人が多いですね。
「努力している」というのは自分が自分に対して感じている感情であり、それは主観的なものでしかありません。
そして主観的な感情は、努力が報われるかどうには一切関係ないのです。
努力が報われるのは運次第
ダルビッシュが言うように、努力は方向性が大事です。
しかし、たとえ努力の方向性が合っていたとしても、結局のところ「努力が報われるかどうか」「結果が出るかどうか」は運次第です。
努力した時間が成功を引き寄せるのは事実ですが、必ずしも結果を約束してくれるわけではありません。
こういうことを言うと、「じゃあ、報われた人は運が良かっただけなんですね」と言われたりしますが、そうではありません。
ただ、「成功するかどうか、結果が出るかどうか、努力が報われるかどうかは、思っている以上に運の役割が大きい」というだけです。
努力が報われるかどうかは、運の役割が思っている以上に大きい。
そして、努力が報われるかどうかが運次第だからいって、それは「努力しなくていい」という意味ではありません。
結果を出したいなら努力するのは当たり前であり、当たり前に努力しているからこそ、運による成功の可能性を高めることができるのです。
偶然にも「細菌」の存在を発見したルイ・パスツールも、「偶然は準備のできていないものには微笑まない」と言っています。
運を味方につけるには、普段から必死に努力しなければならないのです。
無駄な努力は存在しない
努力が報われず、頑張っても結果が伴わず、頑張りが評価されなかったりすると、真面目に努力しながら生きてるのがバカらしく思えてくるでしょう、
ですが、ただひたすら努力し、一生懸命頑張らなければ見えてこない景色があるのも事実です。
今やっている努力に意味を感じていなくても、一つひとつの努力が自分の中で点として残り、いつの日か点と点が結びつくときがきます。
たとえば、私はフリーライターとして仕事をしていますが、一つひとつ努力しながら頑張り、ライターとしての点を作り続けることで思わぬ仕事の出会いに恵まれました。
ただ適当に惰性で仕事しているだけでは、こうした出会いには恵まれなかったでしょう。
結局のところ、人生はコツコツ真面目に一生懸命努力している人のほうが、回り回って最終的に得をすることが多いのです。
たとえ「結果」として努力が報われなくても、努力の「過程」で手にした経験やスキルといった点が、人生では役立ちます。
自分の努力や頑張りに執着しすぎるのは危険です。
「努力していればいつか報われる」と思い込むのは、何でも努力次第でどうにかなると思い込むことにもつながります。
たとえ努力が報われなくても、頑張ることに意味を求めず、ただ自分にできる精一杯をやる。
こうした姿勢が幸運を引き寄せ、努力が報われる以外の形で何かしらの結果をもたらしてくれます。
よく言われるように、「無駄な努力は何ひとつとして存在しない」のです。
努力が報われないときに考えるべきこと
努力が報われるかどうかは運の役割が大きいとは言え、その幸運を掴むためには努力しなければなりません。
しかし、多くの人は努力が報われない期間が続くと、すぐに挫折したり投げ出したり諦めたりしてしまいます。
そこでここからは、努力が報われないときに考えるべきことを見ていきましょう。
- 努力は方向性が何よりも大事。
- 努力を続けられるのは才能。
- 努力が報われる人は、努力を努力と思わない人。
- 努力には試行錯誤がなければ意味がない。
詳しく解説していきます。
努力は方向性が何よりも大事
何かしらの目標に向かって努力するのであれば、そこに向かうまでの明確な道標が必要です。
さきほど言ったように、努力は方向性が間違っていれば報われることはありません。
目標に向かう道標となる看板が間違っていれば、努力もやる気も空回りしてしまいます。
東京から北海道に行こうとしてるのに、沖縄行きの飛行機に乗ってたどり着けるはずがないのと同じです。
何事も道標への看板が大事なのです。つまり、努力の方向性ということですね。
努力をするときにはきちんと自分がどこに向かっているのか、努力の方向性は合っているのか、看板に書いてある道は本当に正しいのかを常に考えなければならない。
よく「努力は淡々と積み重ねることが大事」と言われますが、正しくは「努力が報われる方法を淡々と積み重ねること」です。
間違った方法を正確にやるよりも、正しい方法を大雑把にやるほうが努力が報われる可能性は高いです。
努力が報われないと感じている人は、ガムシャラに努力するのではなく、一度立ち止まって努力の方向性が正しいかどうかを確かめてみましょう。
合っているかわからないのであれば、第三者に自分の目標と努力のやり方を教えて、合っているかどうか聞いてみるのもおすすめです。
他人の意見は自分の欠点を教えてくれるので、努力が報われない原因も見つかりやすくなります。
努力を続けられるのは才能
努力が報われないときに大事なのは、努力を続けられるのは才能だと考えることです。
人間は元々ネガティブな生き物なので、物事をマイナスな方向に考えがちになります。
何かうまくいかないことがあると、努力することや頑張ること、一生懸命生きるのがバカらしく思えてくるのです。
努力が報われる人は才能がある人と決まっていて、自分には才能なんてないと思い込んでしまう。
過去に努力して報われなかった経験がある人は特にマイナス思考が強く、努力しなくていい言い訳を考え出すのがうまいです。
そうした中で、自分のやるべきことをやり、淡々と努力し続けられる人には才能があります。
「才能」と聞くと生まれ持ったものといったイメージが強いですが、努力し続ける才能は誰でも後天的に持てるものです。
努力を続けられるかどうかは、いかに努力を続ける仕組みを作れるかどうか。
つまり、努力を続けるための才能は、努力を続けるための仕組みを作れば誰でも持つことができます。
たとえば、毎日のルーティンを作ったり、規則正しい生活を送るなどですね。
努力を続ける仕組みを作れば、努力を続ける才能に変わり、努力が報われる可能性が高くなる。
努力が報われている人は、大体「努力を続ける才能」を持った人たちです。
努力が報われる人は、努力を努力と思わない人
努力が報われない人は、努力を「やりたくないこと」と思っている人が多いです。
実際、「自分は努力している!」「頑張っている!」とアピールする人ほど努力していないケースがよくあります。
一方、自分では努力していないと思っている人ほど、周りから見れば努力しているように見えるものです。
つまり、努力が報われる人とは「努力を努力と思っていない」という特徴があります。
努力が報われる人は、努力を努力と思っていない。
誰かから褒められたいわけでも認められたいわけでもなく、ただ「目標達成のために当たり前のことをしている姿」を周りの人が「努力」と呼んでいるだけです。
極論を言うと、虫歯にならないように寝る前に歯磨きをすることも、普段歯磨きをしていない人からすれば努力に見えることもあります。
筋トレやダイエットをしている人は自分の目的のためにやっているだけですが、やっていない人からすれば努力しているように見えるのと同じです。
努力を努力と思わずに努力できれば、努力が報われなくても途中で挫折することがない。
逆にそうした姿勢でなければ、努力が報われることも少ない。
さきほどは「努力を続けられる人は才能がある」と言いましたが、「努力を努力だと思わないで努力できること」も才能です。
努力していると思わずに努力できる人にこそ、努力が報われるチャンスが訪れます。
努力には試行錯誤がなければ意味がない
不思議なことに、努力を努力だと思っていると結果が伴わず、努力が徒労に終わってしまいます。
これこそ「報われない努力」というやつです。
では、努力を努力だと思っていない人と、努力を努力だと思ってやっている人の違いはどこにあるのか。
その答えは、努力に「試行錯誤」があるかどうかです。
努力を努力だと思ってる人は「努力=作業」になっていて、「やらなきゃいけないこと」としてやっている人がほとんどです。
作業は単純でルーティン化しやすく、頭を使って考えたり試行錯誤する必要がありません。
つまり、ただ「やるだけ」に集中しているのです。
一方、努力を努力だと思わずにやっている人は、努力は目標を達成するための「手段」なので、自分の間違いや改善すべき点などの学びが毎日あります。
- 努力を努力と思っている人⇒努力はやりたくないこと。ただ毎日やることだけに集中している。
- 努力を努力だと思っていない人⇒努力は目標達成のための手段。自分の間違いや改善点などの学びがある。
学びがあれば成長があり、成長の先に結果があります。
つまり、努力が報われる人は試行錯誤を通じて成長していき、その結果として「努力が報われた」のです。
運の要素を除けば、試行錯誤こそ努力が報われるかどうかの鍵だといっても過言ではありません。
努力が報われない人は、自分の努力がただの作業になっていないかを確認してみましょう。
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まとめ:努力が報われないのは運だけでなく、方向性が間違っている
今回の記事では、なぜ努力が報われないことがあるのかを解説してきました。
まとめは以下のとおり。
- 努力は方向性を間違うと報われない。
- 努力が報われるかどうかは運の役割が大きい。
- 努力が報われなくても、無駄な努力ではない。
- 努力を続けられるのは才能である。
- 努力を努力と思わない人は、努力が報われる。
- 試行錯誤しないと努力は報われない。
努力が報われる人と報われない人のもっとも大きな違いは「運」です。
とはいっても、運だけで努力が報われるわけではありません。
努力が報われない人は努力の方向性が間違っているか可能性が非常に高いです。
努力の方向性が間違っていては、いつまで経っても努力は報われません。
努力はガムシャラにするものではなく、頭を使って考えながら努力しなければならないのです。
努力が報われないと思っている人は、自分が正しい方向で努力でしているかを考えてみましょう。
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