こんにちは、竜崎です!
みなさんは、以下のようなことを思ったことはありませんか?
- 友達は必要なのか。
- 友達がいないと人生は楽しくないのか。
- そもそも友達ってなに?
実際、若い人を中心に友達の少なさに悩みを抱えている人は多いです。
SNSを見て知り合いが楽しそうに友達と遊んだり旅行したりしている姿を目にし、「いいなぁ」と思うこともあるでしょう。
また、友達はいても遊んでもあまり楽しくないと言う人もいます。
一緒にいてもどこか息苦しさを感じたり、遊んでいても楽しさよりもストレスを感じたりする人も少なくありません。

一般的には、友達は多ければ多いほど人生は楽しくなると言われています。
つまり、「友達こそ人生の宝だ」という主張です。
ですが、それは本当なのでしょうか?
結論から言うと、友達や友情にはいくつか形があり、ただ友達が多ければいいというわけではありません。
友達が必要かどうかというのも、それは友情の形によって異なり、中には必要のない友達関係というのも存在します。
そこで今回の記事では、まず友達が必要かどうかを解説していき、後半では「友達」に込められている3つの意味を解説していきます。
- 友達は必要なのか。
- 「友達」に込められている3つの意味。
人間関係が豊かな人生に大きく関係しているのは事実です。
ですが、それは「必ずしも友達が必要」ということではありません。

目次
友達は必要か?

現代ではよく「友達は必要なのか?」と悩んでいる人がいます。
さきほど言ったように、友達は数ではなく友情の形が大事であり、ただ多いというだけでは意味がありません。
そして「友達は必要か?」という疑問についての答えは、「友達が必要かどうかは生き方次第」としか言い様がないのが事実です。

現代での「友達」の意義
「友達は必要か?」という疑問には、多くの人が以下のように答えるでしょう。
- 「友達は人生の宝だ」
- 「友達と遊ぶのは楽しい」
- 「友達こそ人生を豊かにしてくれる」
こうした主張はよく本のタイトルになっていたり、自己啓発書の中に書かれていたり、ビジネスを成功に導く鍵として使われています。
ですが、現代では若い人を中心に「友達」の意味が昔とは変わりつつあるのが事実です。
昔は「友達は大事」と言えば大多数の人が納得していましたが、現代では「無理してまで友達を持つ必要はない」と考える人が増えています。

今では音楽も漫画も動画もすべて無料で楽しむことができ、映画やアニメもAmazonプライムやNetflixに数百円払うだけで見放題になります。
つまり、「インターネットが現代人の生活を変え、友達の意義まで変えてしまった」ということです。
友達関係から得られるものは人それぞれ違いますが、テクノロジーは「友達との楽しい時間」を1人でも楽しめるようにしました。
その結果、「実は無理して人間関係を維持していた自分」に気づく人もたくさんいます。
「友達は必要か?」と考える人は人間関係で疲弊していた人が多く、豊かな人生を現代のテクノロジーで手に入れたからこそ、「友達は必要ないのではないか?」と考えるのです。
また、人間関係がめんどくさいと思っている人は、以下の記事も読んでみてください^^
楽しく生きるだけなら友達は必要ない
もし仮に、「楽しく生きること」だけを目的にしているのであれば、友達は必ずしも必要ではありません。
さきほど言ったように、現代には1人でも楽しめる娯楽やサービスはたくさんあり、お金もほとんどかからずに思う存分好きなことができます。
旅行にしても一人旅をする人が増え、泊まる場所もホテルだけではなく民泊やゲストハウスといった格安で宿泊できる場所もどんどん増えています。
つまり、時代が1人でも楽しく生きられる社会に変わってきているのです。
自分が楽しいと感じることと、他人が楽しいと感じることは違います。
そこに人付き合いのしんどさを感じていた人は、友達付き合いよりも1人でいる時間を好むようになりました。
昔はお互いに協力したり助け合いをしなければ生きていけませんでしたが、今は時代がまったく違います。
自分が楽しく生きるだけなら友達は必要ない。
このことについては、以下の記事も参考にしてみてください。
好きなことを好きなときに好きなだけやっていれば、楽しい人生を生きられます。
ですが、そこまで振り切って生きられる人はほとんどいないのもまた事実です。

つまり大事なのは「友達が必要かどうか」ではなく、「自分はどういう人生を生きたいのか」ということです。
友達が必要かどうかは生き方次第
友達に限らず、人と一緒に行動すると自由はなくなります。
1人だと楽しむことがすべてですが、誰かと一緒にいると「良好な関係」のまま楽しまなければなりません。
その良好な関係を維持するのが大変だと、友達と遊んだりすることにストレスを感じ、一緒にいても楽しさよりも精神的な疲労のほうが大きくなります。
友達と一緒にいるから楽しいわけではありません。
友達が多いから人生が充実しているとも限りません。
自分がどういう状態に楽しさを感じるのか、そこを突き詰めて考えることが大事です。
楽しむことを追求する人がいれば、自由でいることを重視する人もいます。
友達や恋人と一緒にいることに幸せを感じる人もいれば、一人でゲームやアニメ、漫画や映画など趣味の時間を過ごしているときが幸せな人もいます。
そのため、「友達が必要か?」という問いの答えは「必要な人もいるし、必要じゃない人もいる」が正解です。

友達は必要かどうか、多いか少ないか、大事か大事じゃないかは大した問題ではありません、
「自分はどういう生き方をしたいのか」「どういう生き方に楽しさを感じるのか」を考え、そこから友達が必要かどうかを考えればいいだけの話です^^
「友達」に込められている3つの意味

ここまで、友達は必要かどうかについて解説してきました。
一般的には「友達は人生に不可欠」と言われていますが、現代では仮に友達がいなくても豊かに楽しく生きられる環境があります。
そのため「友達は必要かどうか」は自分の生き方次第と言えるでしょう。
そして友達について考えるときは、「友達」に込められている意味も知っておくのが大事です。
「友達」という言葉にはいくつかの関係性が含まれており、ただ友達を作るだけでは本当に信頼できる友達は作れません。
そこでここからは、「友達」込められている3つの意味を解説していきます。
- 実用的な友情
- 快楽の友情
- 善の友情
これらは古代ギリシャの哲学者であるアリストテレスが、友情を3つの形に分類したものです。

実用的な友情
「友達」に込められている1つ目の意味は、実用的な友情です。
実用的な友情というのは、友達として付き合うことでお互いにとって「実用的な利益が伴っている関係性のこと」を指します。
この友達関係の場合、お互いを友達として結び付けているのはお互いの利益です。

- 友達として一緒に時間を過ごすことで得られるメリット。
- 友達として関係性を結んでおくことで自分にとってなんらか利益が発生する状態。
こうした関係性の下に成り立っているのが、実用的な友情です。
このタイプの友情は「利益」が何よりも重要となっています。
そのため、どちらかに利益がなくなった場合、あるいはお互いにとって一緒にいるメリットを感じなくなった場合すぐに崩壊します。
お互いを結び付けているのは実用的なメリットと利益だけであり、利益がなくなれば一緒にいる意味がなくなる。
お互いがお互いを必要としなくなれば、友情そのものも消え去っていくのです。
現代人の友達のほとんどはこうした形での付き合いであり、そこに真の友情はなく、心から信頼できる関係性もありません。
だからこそ、ほんの些細なことですぐに友達がいなくなってしまうのです^^
快楽の友情
「友達」に込められている2つ目の意味は、快楽の友情です。
快楽の友情とは、「一緒にいることで得られる精神的な快楽を重視している友情のこと」を指します。

快楽の友情は実用的な友情とも似ているものの、お互いを結び付けているのは利益ではなく「快楽」となっています。
とはいっても、ここでいう快楽とは肉体的な快楽のことではなく精神的な快楽のことです。
- 一緒にいて心が満たされている状態。
- 1人でいるよりも充実した時間を過ごせている状態。
特に10代や20代の若者たちの友情は、この快楽の友情であることが多いです。
このタイプの友情は「遊んでいて楽しい」「一緒にいてお互いが満たされている」限り継続します。
友情としての快楽は言い換えればメリットや利益とも言えるので、その点は実用的な友情と似ていると言えるでしょう。
「楽しい」「充実」といった快楽がメリットとなり、お互いの間に友情が結ばれる。
実用的な友情のメリットは金銭的な利益であったり、自分にとって都合のいいメリットであることが多いです。
ですが、快楽の友情の場合は「精神的な喜び」のために一緒にいるという解釈になります。
一緒にいて楽しいと感じる友達関係は、快楽の友情が根底にあると言えるでしょう^^
善の友情
「友達」に込められている最後の3つ目は、善の友情です。
善の友情は、実用的な友情とも快楽の友情ともまるで異なります。
それは、ただ一緒にいること自体に喜びを感じる友情です。
そこには利益も快楽もなにも存在せず、ただ隣にいること、ただ一緒に時間を過ごすこと、ただ側にいることに喜びと幸せを感じている状態です。
- ただ一緒にいるだけで幸せを感じる状態。
- ただ隣にいてくれるだけで心が満たされている状態。
善の友情は、質としては友情というよりも愛情のほうが近いと言えるかもしれません。
善の友情がお互いを結び付けているのは「存在そのものに対する喜び」です。
相手が存在していることにより、必然的にお互いが惹かれ合っているような関係性。
言うまでもなく、善の友情は実用的な友情や快楽の友情よりも強くて深い関係になります。
この善の友情こそ、本当の意味での「友達」「真の友情」です。

ですが、善の友情で結びついた友達を作ることができれば、「友達は必要か?」といったことにも悩まなくなるでしょう。
なぜなら、「必要かどうか」ではなく「一緒にいて当たり前の存在」になるからです。
自分にとっての「当たり前」のものに「必要かどうか」なんて考えませんよね^^
善の友情で結ばれている関係性こそ、友情のあるべき姿であり、本物の友達なのです。
【まとめ】友達が必要かは自分の生き方次第

今回の記事では「友達が必要か」どうかを解説し、それから「友達」に込められている3つの意味を解説してきました。
- 「友達は必要かどうか」は、必要な人もいるし必要じゃない人もいる。
- 現代は友達がいなくても楽しんで生きていける環境がある。
- 「友達」に込められている3つの意味。
友達が少ないことに悩む人は多いですが、友達が必要かどうかはその人次第です。
一般的には「友達は必要」と言われていますが、人間関係が苦手な人はそこまで友達は必要としません。
これはどちらが良いか悪いかという話ではなく、本人の生き方の問題です。
本人が友達がいなくても楽しく生きられるのであれば、必ずしも友達は必要ではありません。
そして友達が必要だという場合でも、「友達」という言葉に込められている意味をしっかり考える必要があります。
- 実用的な友情
- 快楽の友情
- 善の友情
「友達」という言葉には上記の3つの意味があり、それぞれの友情の形によって友達との関係性は大きく変わります。
この中でもっとも信頼できる友達は、善の友情で結ばれている友達関係です。
もちろん、ほかの2つの関係性がダメと言っているわけではありません。
ですが、実用的な友情と快楽の友情は何かしらの「利益」でつながっている関係性なので、利益がなくなると友情もなくなるという特徴があります。
それに対して善の友情の友達は、お互いの存在を必要としている関係なので、利益やメリットなどがなくても成立する関係性です。
- ただ一緒にいるだけで幸せを感じる状態。
- ただ隣にいてくれるだけで心が満たされている状態。
友達が必要かどうかは個人によって異なりますが、友達を持つのであれば心の底から信頼できる関係性を築くようにしましょう。
今は友達は必要ないと思っている人でも、善の友情で結ばれた友達ができればやっぱり人生には友達が必要だと思うかもしれません。

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